つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言⑩
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言⑩ です★
~吉田松陰さん 前編~
男性は自分のことを『ボク』と言い、相手に対しては『キミ』と言いますね。
この言い回しを流行らせたのは、『松下村塾』の皆さんです。ですからドラマなどで木戸孝允さんや高杉晋作さんは盛んに『ボク』と『キミ』を連発しています。
ちなみに、よく戦争映画などで上官に対して兵士が『~で、あります』と言ってますが、この『あります』は長州の言葉だそうです。
明治の陸軍は長州閥が多数を占めていたので、ここから派生したようです。
また、『有り難く思います』とか『嬉しく思います』などを表現するのに『幸せます』というのもあるそうで、こちらは流行りませんでしたね。
話が逸れてしまいましたが、今回書きたいのは吉田松陰さんについてです。
塾生達のように写真は存在しないし、神格化されているのでなんとも掴みにくいのですが、残された自筆の文字などを見ると全体に右肩あがりで、どこか気取った感じにも見え、もう少し悪く言うと『いいカッコしい』って感じがします。
さらに悪く言うなら、『完璧な気障(キザ)』なのですが、キザな人というのはそれがサマになってこそのキザで、どこか気に障るものです。
ただ、松陰さんの場合は良いように気に障るのですよ。
久坂玄瑞さんには『防長第一流の人物』、高杉晋作さんには『将来、人の上に立つ人物』、二人を総じて『松下村塾の双璧』なんてスパッと言っちゃうものですから、二人ともグッときてしまうわけです。
ただ、『なかなかの周旋家』と評された伊藤博文さんは、少しムッとされたらしく、良い印象はなかったようです。周旋とは間に入って取り持つことなので、いつまでも人の下働きばかりやってるわけじゃないぞ!って言いたかったのでしょう。
そんな松陰さんが大事件を引き起こします。
嘉永7年(1854)ペリーが日米和親条約締結のため二度目の来航の際、旗艦のポーハタン号に乗船してしまいます。松陰さんは渡航が目的だったのですが、あっさり拒否されてガッカリ。
目的を果たせなかった松陰さん、黙っていればいいものをわざわざ下田奉行所に自首してしまいます。そもそも鎖国とは、邦人を国外に出さないためのものなので、国禁を犯したことになって江戸伝馬町の牢屋敷に投獄された後、国許の萩へ移送され野山獄に繋がれます。
じつは、この以前にも長崎でロシアの軍艦に同様の試みを未遂とはいえ行なっているので、まあ懲りないものですよね。ただ彼にしてみれば、アメリカに対して渡航を試みた人間がいる。日本人よ、もっと世界に目を開けって言いたかったのでしょうね。やっぱり『いいカッコしい』でキザの成せるところです。
野山獄でも囚人相手に教鞭をとっていたそうで、ここで知り合った富永有隣さんという人は、国木田独歩さんの小説『富永先生』のモデルだそうです。
かくすれば かくなるものと知りながら 止むに止まれぬ大和魂
金子くん、ボクと一緒にメリケンへ行こうじゃないか。 はい先生、『幸せます』
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