『イエロー・マジック・オーケストラ』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
確か16歳の頃だった。
レコード屋(その響きすら懐かしい)に行くと、馴染みの店員さんが『これ、コンピューターが自動演奏しているんだって』と言う。
聴かせてあげようか、ということになって聴いてみた。
シンセサイザーのメロディーに電子音が重なっていたので驚いた。
それまでのシンセサイザーといえば、効果音に使用されているものばかりで、単音で和音も出なかったりしたから、どちらかといえばツマラナイものだった。
それがエキゾチックなメロディーに当時流行していたディスコサウンドのようなテンポで、またポップス調でもあったから、『これ、買う。買う』とばかりにすぐにゲットした。
よく聴くと確かにシンセサイザーを使っているが、ほとんどが『手弾き』で出来ている。
これが『イエロー・マジック・オーケストラ』のファーストアルバムで、後に聞いた話だが初回プレスは3000枚程度で、僕が暇さえあれば聴いていたにも拘らず世の中は誰も相手にしていなかった。
ところがである、NHKだったと思うが、ニュースでロスアンジェルスでのライブの模様が紹介されたり、僕がセカンドアルバムを聴き始めた後に、現在ワールドツアーをやっているなんて情報が音楽誌に出たり、そのライブの模様がTVで流れたりして、世の中が注目し始めた。
そんな中に出たセカンドアルバムこそが、日本で2枚目の100万枚のセールスを記録した『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で、ヒットの副産物として『テクノカット』なるヘアスタイルも流行って、床屋に行けばアルバムジャケットが壁に貼ってあったりもした。
当時100万枚と言えば、レコードプレーヤーを所有している家庭には必ずあるくらいの勢いで、チマタでは聞かない日はないと言っても過言ではなかった。
後に、メンバーの一人だった坂本龍一さんがインタビュー番組でYMOについて質問された際『あれはビートに対する回答だった』というのを聞いた時『なるほど』と感心し、『そりゃあ、ヒットするよね』とあらためて思い知らされた。
今思い返すと、まだ手探りの段階の『アナログシンセサイザー』の未成熟の性能をカバーしていたのは結局、メンバーそれぞれの生身の演奏テクニックだったというのが、今もなお『YMO』にシビれ続ける理由なのだ。
今年、オリンピックが東京で開催される。
開会式で、日本を代表するアーティストとして登場してもらって、『T・E・C・H・N・O・P・O・L・I・S TOKIO(トキオ=東京)』と世界に向けて演奏してもらいたいと願っている。
僕みたいなオールドファンもきっといるに違いない。
さあ、お仕事始めましょうか。
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