日日是好日 『旧長崎県庁跡地に興味津々』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
今、長崎において『旧県庁跡地』が注目されている。
実はそこ、今でこそ周囲が埋め立てられて想像できないが、昔は『長い岬』の先端部で周囲はもちろん海だった。
長いみさき、それがつまり『長崎』地名の由来だ。
岬の先端部は森に覆われていて、『森崎(もりさき)』と呼ばれていた。
そんなちょっと神秘的な場所には『神様』がいると人々は畏れ、恐らく小さな祠(ほこら)すなわち、小さな社(やしろ)があったものと思われる。
何故なら、長崎の総鎮守である『諏訪神社』には『諏訪』と『住吉』の神様と『森崎』の神様が祭られているからである。
1550年になってポルトガルが平戸を拠点に日本との交易を開始し、その後長崎へ移る。
1580年、キリシタン大名の大村純忠がその『長い岬』をイエスズ会に寄進する。その際、森は崩され教会ができた。日本の神様から西洋の神様へと変わったワケだ。
その教会の周辺に九州各地からキリシタンが集まり町を形成していく。
これを『長崎六町』といい、これに南蛮貿易のため博多から商人達も進出してきて発展が始まる。
江戸時代になって『禁教令』が出てポルトガルは追放、そして『布教活動』は絶対にしないということを条件にオランダが日本と交易を始める。
ポルトガル時代の教会は取り壊され、徳川幕府はここに『長崎奉行所』を設置、その鼻先に人工島の『出島』を造る。
今度は西洋の神様から『お上(おかみ)』に変わった。
幕末になって、奉行所の敷地内に『長崎海軍伝習所』もできる。
その後、明治の御代になって『長崎県庁』が置かれたってこと。
そして、その県庁も最近移転したのだが、その跡地から奉行所時代のものと思われる『石垣』が出てきて、ちょっとした話題となっている。
県庁移転の話を聞いた時『絶対に発掘調査するべきだ!』と個人的に切望したが、実際に出てくると居ても立ってもいられないほど興奮している。
だってそうだろ、上記しただけの歴史が眠っているのだから。
ひょっとしたら、奉行所の石垣の下にはイエスズ会教会の遺構も眠っているかもしれない。
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