日日是好日 麒麟がくる 『明智光秀という人』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
大河ドラマが休止になって、最近は以前の大河ドラマをダイジェストで放送して、たいして歴史に詳しくもないゲストが、どうのこうのと言っている。
『いやぁ、このシーンのこのセリフがグッとくる~』みたいなことで盛り上がっているが、この頃いわゆる『標準語』というのは存在しない。
信長も秀吉も、恐らくは『名古屋弁』で喋っていたに違いない。それも今よりもっとキツいやつで。
そんなことだから、当時の将軍とか公家とかは信長と面会してもちゃんとした会話は成立しなかったハズだ。
そこで、通訳として明智光秀の存在というものが信長にとっては大きかった。
『標準語』というものは明治になってからである。
余談だが、TVや映画などで花魁(おいらん)が『~で、ありんす』とか自分のことを『あちき』と言っているのは、地方から出て来た娘さんが方言を隠すためで、そのくらい当時は各地方の方言はキツく、理解し難かったということだろう。
そんなワケだから、信長はどちらの言葉が解る光秀を重用している。
だから中途採用にも拘わらず12年で城持ちの大名になった。ちなみに秀吉は草履取りから始めて20年かかっている。
おまけに光秀は信長の命令をよく守った。
例えば、延暦寺焼き討ち。
これは、信長最大の悪行のように言われるが、歴史的観点からみると実はそうではない。
信長にしてみれば、浅井、朝倉氏を匿い、僧兵を5000名ばかりおき、一大勢力となって脅威に感じていたことはあったろうけれど、実は『これは、仏様の教えです』と朝廷や将軍に働きかけ政治に対して影響力を及ぼすことが最大の懸念であって、焼き討ちにあったお坊さん達には気の毒だけれど、これは日本における『政教分離』で、信長の偉業と言っても差し支えない。
その、実行部隊の中心が光秀の軍であり、生マジメ故か徹底的にやった。
また、光秀は『本能寺の変』において、本能寺を目指す夜間行軍の際、行軍を信長にコクられないよう出会った通行人を全員斬った。
これも生マジメが為せるワザなのだろう。
『鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス』って光秀を表現した感じがするね。
目的のためには手段を択ばない。何だか信長と光秀が重なって見えるのは、僕だけだろうか?
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