日日是好日 『三島由紀夫のコンプレックス』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
その日、学校が終わって母と歯医者に行き、帰りに夕飯の買い物のため商店街を抜けて帰ることになった。
黄昏時、酒屋の前で店主と出くわした際、店主が母に言った。
『奥さん、ミシマが自決しましたね』
小学生の僕にはよくわからなかったが、母の驚いた様子を見て相当な事件であろうとの察しはついた。
昭和45年(1970)11月25日の午後ことである。
この日、彼は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺したのである。享年45。
これは後で知ったことだが、小説家でいくつもの傑作を書き、ノーベル文学賞の候補になり、俳優もやり、世の中の注目を一身に集めていた。
当時8歳の僕は彼の詳細は知らなかったけれども、『ミシマ・ユキオ』という響きにどこか不思議な魅力を感じていたし、『得体の知れないカッコ良い大人』というイメージがあったのは確かである。
高校生になった頃から三島文学に触れ、数多くの主人公達と出会ったが、その多くは『コンプレックス』を抱えていて、文章は流暢で美しく、逞しくて男性的なものだが、セリフはどこか弱々しく、妙に女々しく煮え切れない感じがしていた。
ボディビルや武術を嗜み、時に自衛隊に体験入隊までして常に『男らしさ』で着飾った作家の内面を見る思いでいた。
確かに彼は幼少の頃は病弱で日光を浴びただけで倒れてしまう虚弱体質であったそうだが、真のコンプレックスの根源は何処にあるのだろうと『ミシマ探し』読書は続いた。
そして、『仮面の告白』を読んだ。いわゆる自伝小説である。
その中に、主人公の『徴兵忌避』のシーンが出てくる。
徴兵忌避とは故意に体を傷つけたり仮病を装ったり逃亡するなどして、故意に兵役を逃れる事であり、戦時中に二十歳になった彼もこの徴兵検査を受ける。
後の資料では、この時彼は軽い風邪であったが、軍医が『肺浸潤』と誤診したので不合格となり、戦争に行かずに済んだ、いや、行けなかったという記述があったが、もし自伝が正しいのであれば、あれこれと言い訳を重ね徴兵を忌避したことになる。
彼のコンプレックスの根源はそこにあるのではないか。
二十歳の頃、両親あてに遺書をしたため、最後に『天皇陛下萬歳』と大きく書いている。
同世代の男達の多くが戦場に倒れ、生き残ってしまったという負い目、いや、もし卑怯な手段を使ってまで生き残りたかったのであればその贖罪に、日本全体が反体制運動に揺れていた当時、古き良き日本の伝統や文化を取り戻すために自衛隊に決起を促したのではないかと思うと、なんとなく解ったような気分になる。
あの、黄昏の帰り道の日から50年、まあちょっと、考えてみた。
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