日日是好日 麒麟がくる 『豊臣秀吉という生き方』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
豊臣秀吉という人がいた。
この人はそもそも農民の出身で武士の生まれではない。
ある意味、これが強みでもあり弱みでもあった。
どうにかこうにか織田信長の家来にしてもらってその後の人生が開ける。
ある日、信長が美濃に攻め入る際の重要地点として、現在の岐阜県大垣市、長良川西岸の墨俣(すのまた)に城(といっても砦程度のもの)を築くよう家臣たちに命じる。
最初に佐久間信盛が手を挙げるが失敗。次に柴田勝家が取り掛かるがこれも失敗。
『誰かやってみようってヤツはいないのか!』と信長は激怒するが、困難が予想されるし、また失敗でもしたらクビにされるかもしれないから誰も手を挙げない。
その時、健気にも手を挙げる者がいた。当時まだ『木下藤吉郎』と名乗っていた、後の豊臣秀吉である。
『おお、やってみるか』と信長は大喜びだが他の家臣たちの反応は冷ややか。
そりゃあそうでしょう、名だたる武将の家臣たちが失敗しているワケだから。
ひょっとしたら、秀吉にしても成功するなんて思っていなかったかもしれない。
ただ、失敗したところで失うものは何もない。
クビになっても元のお百姓さんの生活に戻るだけなんだし、今までが失敗の連続で失敗しても誰もお咎めはなかったんだから、秀吉が失敗したってたいしたことはない。
それが、彼の強み。
信長にしたって、成功や失敗は別にして『勢い』は止めてほしくはなかったハズだ。
そして、彼は成功するが、最近の研究ではそれってマユツバなんじゃあないの、という意見もある。
なにしろ協力者の蜂須賀小六の記録にはその件が一切登場しない。
この後、彼は『羽柴』と改名する。
これは、信長家臣団の丹羽長秀の『羽』と柴田勝家の『柴』から『羽柴』としたもので、『尊敬するお二人より一文字ずつ頂きました』ということだ。
2人にしてみれば、呆れるが『どこか可愛いヤツ』だったに違いない。
ただ、『天下人』になった時、古くからの武家としての『お付き合い』なんていうものは皆無だから、関係維持のためには『お金』と『領地』を与え続ける必要があり、国内に分け与える土地が無くなったから、『朝鮮出兵』に至った。
これが、彼の弱み。
ライバル明智光秀とどのように争っていくのか今から楽しみ。
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