日日是好日 『東行庵の春風』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
高杉晋作が臨終の際、『吉田へ』と呻いたので、きっと吉田の地に埋葬してくれとの意味だろうということで、ここが墓所となった。下関市吉田町は奇兵隊の本陣があった所だ。
その墓所を終生守ったのが『梅処尼(ばいしょに)』という尼僧だったので、後に梅が多数植えられ名所となった。山縣有朋が提供した小屋に彼女は住み、いつしか『東行庵』と呼ばれるようになった。
高杉のことを『旦那さん、旦那さん』と呼んでいたこの女性、下関は新地の娼妓だった。
高杉が伊藤博文を連れて萩から長崎まで武器の買い付けに向かう途中、下関で公金3000両を使い込んでドンチャン騒ぎをし、ついでに身請けまでした。
その頃は、『おうの』と名乗っていて、おっとりのんびりした女性だったらしい。
そんな彼女が高杉の死後、娼妓に復職して誰かの愛人にでもなったら奇兵隊OBの
伊藤博文や山縣有朋はおもしろくないから、みんなでお金を出し合い尼僧にした。
そんな話を高杉が聞いたらきっと驚くだろうが、墓所の高台を下り、県道を渡った駐車場で『晋作餅』が売られていることを知ったら、もっと驚くに違いない。
晋作というのは通称で、本名は春風(はるかぜ)という。
高杉春風。
春の柔らかな陽射しを受けた梅の梢を吹き抜ける爽やかな風、といったイメージだが、当の本人はと言えば、背が低いのがコンプレックスで直立した写真は一枚も撮らず、子供の頃に罹った天然痘が原因であばたが顔に残り、乗った人より馬が丸顔と陰口を叩かれたくらい顔の長い人だった。
おまけに、農民や町人が主体の奇兵隊の初代総督だったが、『俺は、お前らとは身分が違うんだ』的人物だった。
だからある意味、吉田には埋めてほしくなかったんじゃあないの?
そんなことを紫蘇にくるまれた晋作餅を頬張りながら、あれこれ考えてみた。
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