日日是好日 『アメリア・イアハートの遭難』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
最近、出社してパソコンを開くと、この女性知っている?とばかりに画面に広がり、さあ何をなさった女性でしょうとクイズが用意されていた。
正解はチャールズ・リンドバーグに続き、女性初の大西洋単独横断飛行に成功したのだが、この女性のその後については何の記載もないのでちょっと書いてみる。
この女性、大西洋単独横断飛行の後、数々の単独飛行をやってのけ、さらにチャーミングでもあったためアメリカ国内で絶大なる人気を誇っていた。
そんな彼女の次なる挑戦は、赤道上世界一周飛行を行うというものだった。
人気の記録保持者というものは更なる記録に挑む必要があり、記録を更新することで人気も継続しているものだ。
またそれを大衆も望む。
40歳だった彼女にとって大変なチャレンジに違いないが、彼女は果敢に挑む。
1937(昭和12)年5月21日に本国を出発、6月30日にはニューギニアのラエという所に到着、7月2日にはハウランド島に向け飛行したが、彼女は島に到着することはなかった。
彼女の捜索にアメリカ海軍は空母『レキシントン』まで動員、大日本帝国海軍も艦隊を出し、懸命な捜索を行ったが、遺体はおろか墜落した飛行機の残骸すら発見できなかった。
ここでひとつの疑問が沸き起こる。
なぜ、一般人の捜索を日米の海軍が軍艦まで動員して行ったのか、ということだ。
憶測は憶測を呼び、事件後ある説が出てくる。
それは、彼女は日本の『皇居』にいるというものだ。
日本海軍が密かに彼女を救出、日本に連行し、日米開戦後は『トウキョウローズ』となって謀略放送に加担させ、終戦時に処刑されたというものだ。
憶測もここまでくると信憑性を疑うが、彼女はアメリカ海軍の『スパイ』だった言う説も確かにある。
彼女が遭難したと思われる現場はトラック諸島やサイパン、テニアン島の近く、いわゆる日本の委任統治領のすぐそばで、そこには日本海軍の基地もあり、内情を知るためアメリカ海軍は彼女に情報収集を依頼していたというものだ。
だからアメリカは大規模な艦隊を捜索に派遣したということであり、また捜索を理由に日本の海軍基地を偵察したとの説もあるようだ。
いずれにせよ昭和9年の日米野球の際、来日したベイブ・ルースやルー・ゲーリックに混じってあるキャッチャーが来日したが、この選手実はスパイで、試合に出場することなく毎日試合の先々で観光に出掛け、聖路加病院の屋上から撮影した東京市街地の様子が後の東京空襲の際に非常に役立ったという話もあるくらいなので、彼女もスパイとしての使命を帯びていたのかも知れない。
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