日日是好日 『桜田門外の変』(つづき)
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安政7年3月3日、江戸の町は雪に覆われていた。
牡丹雪が舞う中、大老井伊直弼は籠に揺られ彦根藩邸から江戸城へと向かっていた。
この日はひな祭りで、江戸在住の諸大名は将軍に祝辞を言上するため江戸城に集る。
江戸庶民はそんな大名一行を一目見るため『大名武鑑』というガイドブック片手に桜田門周辺に集まり、『お、薩摩のお殿様の籠だ』とか『伊達藩てぇのはやっぱ、おシャレだぜ』などとヒャーヒャー騒いでいた。
彦根藩一行が現在の警視庁前交差点を桜田門に向け左折しようとした頃、見物の群衆の中から一人の侍が訴状を持って一行の先頭に飛び出して動きを止め、ピストルの発砲音を合図に水戸浪士17名と薩摩浪士1名の計18名が一斉に襲い掛かりました。
井伊直弼の警護する彦根藩士26名、駕籠を担ぐ従者など30名は突然の襲撃に大混乱、従者はすぐに逃げ出してしまいました。
この時彦根藩士たちは雪のため刀を袋に包んでおり、襲い来る刃に向けてすぐに対処できず、井伊直弼も籠に撃ち込まれた弾丸によってすでに重傷を負っており、ものの10分ほどで首を取られたと言います。
さらに悲劇は続きます。
事件後、警護の彦根藩士26名に対し藩内では『お前ら何やってんだ、主君の首を取られるとはどういうことだ、それでも武士か!』ということで、重傷者8名は幽閉、軽傷者8名は切腹、無傷だった10名は斬首ということになりました。
ちなみに、井伊の首をあげた薩摩浪士の有村次左衛門は首を持って逃げる途中、背後を切りつけられ力尽き自刃して果てました。
大河ドラマではサラッと描かれていましたが、こんなことがあったワケです。
井伊直弼を襲撃した実行犯が明治になって靖国神社に祀られていることを知っている人は意外と少ない。
そんなコトだから、井伊直弼っていう人は憎まれ役なんだろうね。
桜田門外の変で敵対した水戸と彦根が和解して親善都市提携を結んだのは、事件から109年後の昭和43年のこと。
平成25年の彦根市長選挙の際、現職の市長は対立候補の一人が井伊直弼の首をあげた有村次左衛門の弟の子孫であったことから、そんな人物を市長にするわけにはいかないんじゃないのと、選挙の争点として訴えたことがある。
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