日日是好日 『偉人、小栗忠順』
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『青天を衝け』に小栗忠順(おぐり・ただまさ。後に上野介と改名)が出てきて、少し面白くなってきた。
ドラマでは武田真治さんが演じておられる。
徳川方だったこともあって知る人ぞ知る的人物だが、実は大変優れた幕臣で彼を主人公にした大河ドラマができても不思議ではないくらいの人物なのだ。
大隈重信も『明治政府の近代化政策も小栗忠順の模倣に過ぎない』と言ったくらいだから、その大きさが知れようというものだ。
その彼が日米修好通商条約批准のため、幕臣たちとアメリカ軍艦ポーハタン号に乗って、安政7年1月22日出港した。
出港は安政だが条約締結が万延元年(1860)だったので『万延元年遣米使節団』という。
この時、万一遭難でもしたら大変だからと一緒にサンフランシスコを目指したのが咸臨丸で、こちらには勝海舟、福沢諭吉、通訳のジョン万次郎等が乗船していた。
咸臨丸の方が先に着いて先に帰ったので、日本人の大偉業のように語られがちだが、軍艦奉行の勝海舟は行きも帰りも船酔いで船室から一歩も出られず、福沢諭吉は写真館のお嬢さんと並んで撮影した写真を船内で見せびらかし周囲から羨ましがられたりしていて、結局行きも帰りも雇ったアメリカ人の操船で無事に帰国できた。
一方の小栗忠順といえば、ワシントン海軍工廠を見学した際、製鉄や金属加工技術に驚愕し、記念にネジを持って帰った。
ドラマで時々ネジを出して眺めているが、あれは実話なのである。
それに横須賀軍港の基礎を作ったのも彼である。
小栗が横須賀造船所建設に奔走していた時、同僚の栗本鋤雲(くりもと じょうん)から『なぜ無くなってしまう幕府のためにそんなに尽力するんだ?』と訪ねられた時、『売り家になっても立派な蔵は残しておきたいんだ』と答えたという。
そんな彼も徳川慶喜や勝海舟が命令にはおとなしく従いますという『恭順派』であったため、討幕軍からこうやったら勝てますよと主張する『主戦派』とみなされ、捕縛の末、斬首という憂き目にあっている。
後に、日本海海戦においてバルチック艦隊に勝利した東郷平八郎は『すべては小栗さんのおかげで勝てた』と称賛した。
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