日日是好日 『真珠湾攻撃』① 開戦までの経緯

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ペリーが浦賀に来航した際、英語を喋るサムライに驚いたそうだが、88年の後、まさかこの国が『覇権』をかけて戦争を挑んでこようとは思いもしなかったに違いない。

 日米関係の雲行きが怪しくなってきたのは、1905年アメリカの鉄道王ハリマンが、日露戦争の勝利で手に入れた南満州鉄道買収の呼びかけに始まる。

 この呼び掛けを日本は拒否し、満州の利権を独占する。

 アメリカにすれば、ロシアとの戦争終結の仲裁をしたのだから、『分け前』にあずかりたいと思ったことだろう。

 しかし日本にしてみれば、維新後、日清、日露の両戦争で何十万という兵士の血を吸った土地に外国資本を参入させたくはなかった。

 また仲裁と言ってもロシアからの『賠償金』の獲得は辞退させられている。

 何故なら、日清戦争の勝利で得た賠償金で海軍力を強化し、ロシア海軍を撃破した日本が今度はロシアからの賠償金で軍事力を強化されてはアメリカの脅威になるからだ。

 この後、日米両国は互いを『仮想敵国』として勢力を拡大し、アメリカの画策による『日英同盟』の破棄と『排日移民法』により日本からアメリカへの移民が送れず『満州』へ進出、ついには『日中戦争』が勃発した。

 しかし、資源の乏しい日本は戦争の早期解決ができず、第二次世界大戦勃発により、フランスがドイツに降伏したため、フランスの植民地であった『仏領インドシナ』(現在のベトナム、カンボジア、ラオス)に資源欲しさに進出した。

 これにより、アメリカ、イギリス、中国、オランダの頭文字からとった『ABCD包囲陣』という対日経済封鎖が行われ、窮地に追い込まれた。

 特に痛かったのが、1941年7月、アメリカによる『対日石油輸出全面禁止』である。

当時、日本の石油備蓄量は2年分しかなく、経済、産業、軍事というあらゆる面で国家として成り立たなくなるため、東南アジアに進出して活路を求めた。

現在でも日本が『原子力』を捨てきれない理由はここにある。

アメリカにしても、ニューディール政策の不完全、中国における覇権獲得、ナチス台頭による『ファシズム』への脅威等々が重なり、対日戦争を望んでいた。

そして、ついに1941127日(現地時間)日曜日の朝を迎える。

194592日、『戦艦ミズーリ号』艦上で日本の降伏文書が調印された。

歴史の教科書には『東京湾上』とだけ記されているが、実はこの場所、嘉永733日日米和親条約がペリーとの間で結ばれた際、旗艦『ホーパタン号』が停泊していた場所と同じで、その時マストに掲げられていた『星条旗』をわざわざ博物館から調印式に持ち出し、ミズーリ号に飾られた

さあ、お仕事始めましょうか。


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