日日是好日 『真珠湾攻撃』③ トラ・トラ・トラ
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日米間で交渉が続く中、アメリカより1通の外交文書が届く。
その内容は、仏領インドシナからの撤退、蒋介石政権の支持、日独伊三国同盟の破棄などが記されており、これまで日本が提示してきた妥協案を全て否定したものであった。
このアメリカからの文章を発信者のハル国務長官の名前から『ハル・ノート』と言う。
受け取った東郷外務大臣は『目も暗むばかりに失望』し、他の首相及び閣僚たちもこれはアメリカの『最後通牒』との認識を強め、昭和16年(1941)12月1日、ついに戦争を決意する。
ハル・ノートの受け取りは11月27日だが、前日の11月26日午前8時に日本海軍機動部隊はハワイに向け出撃していた。
交渉成立の際には途中から『引き返す』予定だったが、12月2日に機動部隊は本国から『ニイタカヤマノボレ 一 二 〇 八』の電信を受け、日米交渉決裂を知る。
空母6隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦9隻、潜水艦8隻からなる機動部隊は船の往来の無い、荒れ狂う北太平洋をハワイまで接近する。
そして12月7日(現地時間)の朝を迎える。(日本時間12月8日)
日曜日を選んだのは、日本人スパイの報告により、訓練を終えた艦隊が休養のため最も集結するのが日曜日だったからだ。
午前6時30分、発艦始めの号令で『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』『翔鶴』『瑞鶴』の空母から戦闘機、急降下爆撃機、雷撃及び水平爆撃機合計183機の第一次攻撃隊は僅か15分で全機発艦し、艦隊上空を2周しただけで大編隊を組み、一団となって真珠湾を目指した。
当時、このような『発艦』は日本海軍だけができる『離れ技』であった。
続いて午前7時45分、第二波攻撃隊171機が6隻の空母から発艦し、真珠湾を目指した。
オアフ島に設置されたアメリカ軍のレーダーにより攻撃隊は探知されたが、認識されずに済んだ。
攻撃隊は無事真珠湾に達し、指揮官機より『トラ・トラ・トラ・・・・(ワレ 奇襲ニ 成功セリ)』の暗号電信が旗艦空母赤城あて発信される。
次に、指揮官機からのト連送(ト・ト・ト・・・・)『全軍、突撃セヨ』を意味する暗号電信により、予定時間よりも5分早い7時55分、一斉に攻撃を開始した。
攻撃は午前9時45分に終了した。
この攻撃で、日本側は29機を喪失、空母機動部隊は無傷だった。
アメリカ側の被害は、戦艦5隻が沈没または大破、3隻が中破し、アメリカ太平洋艦隊の戦艦は事実上壊滅し、その他艦艇、陸海軍飛行場にも多大な被害が出た。
しかし、第一目標であった空母『エンタープライズ』『レキシントン』は当日湾内には不在で討ち漏らし、石油タンクや修理工場など軍事施設には攻撃を加えなかったのでその後の戦局に大きく影響した。
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