日日是好日 鎌倉殿の13人 義経奮戦記 『屋島の戦い』

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一の谷の合戦において大敗を喫した平家は香川県高松市にある『屋島』に立て籠もり、そこへ義経は150騎ほどで攻め込みます。

この時、海は大荒れでしたが、義経は船頭を脅して船を出させ、逆櫓(さかろ)という船を後退させるための道具も士気に関わると言って取り付けさせませんでした。

この強引な義経の出陣に際し、慎重派の『梶原景時(かじわら かげとき)』(大河ドラマでは中村獅童さん演じる)と逆櫓を着けろ着けないでモメています。

また、『大将自ら斬り込んで、万一のことがあったらそれこそ士気にかかわる』という景時の忠告も無視しています。

今でこそ奇襲を成功させるには、敵が予想もしない状況で仕掛けるのが常識なのですが、その頃の『武士の常識』では奇襲は卑怯な戦術で、正面から名乗りを上げて正々堂々と戦いを挑むのが戦の作法でした。

この屋島の戦いから89年の後、『元』が攻めてきた『文永の役』(1274)までこの『美徳』は続き、単騎で挑む鎌倉武士は集団で攻めてくるモンゴル軍に手を焼いています。

そんな戦の休憩中、海上の平家の船の中から綺麗な女性が現れ、竿の先に扇を着けて船上に立てると、『源氏のみなさ~ん、この竿の先の開いた扇をどなたか射抜いてみませんこと?』とばかりに挑発した。

それを見て腹を立てた義経は、家来の中で一番の弓の名手である『那須与一(なすの よいち)を呼び、射るように命じた。 

本人は何度も辞退したが、義経は『どうしてもやれ!』という。

いつの時代でも上司というものは部下に対して『無理』を言うもので、また『何でもできる』と思っているから始末が悪い。

那須与一は渋々承諾、外したら『切腹』する覚悟で一矢を放ち、みごと一撃で的の扇を射抜いてみせた。

扇が落ちると両軍ともヤンヤヤンヤの大騒ぎで、特に平家側は船上で舞を演じる者も出る始末。

その様子を見ていた義経は、『あの、おめでたい奴らも射よ』とばかりに矢を放ち、何人かに命中して休憩時間は終わった。

その後、梶原景時も攻撃に参加し平家は敗走。

平家の瀬戸内海最後の拠点、下関市『彦島』に籠るのでした。 

この戦の後、梶原景時は前述の『逆櫓の件』と『忠告の件』を頼朝にチクり、頼朝の義経への信頼が揺らぎ、関係がギクシャクし始めたとも言われています。

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