日日是好日 『ふと、立ち止まって』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
八幡の中央町商店街を歩いていたら、人通りの無いアーケードの一角に掲示板があって、古い八幡の街並みを写した写真が掲示されていた。
ときどき、テーマ別に張り替えられているようで、そこを通る度に立ち止まって見ている。
その中の一枚に『丸物(まるぶつ)』というデパートが写っていて、両親の話によると、僕が生まれて初めて『アイスクリーム』を食べたのがここの食堂らしく、その話をふと思い出した。
ある日、『八幡大空襲』の写真が貼られていた。
昭和19年6月19日、アメリカのB29が行った初の日本本土爆撃の目標は『八幡製鉄所』であり、同年8月20日にも空襲を受けたが、最大の被害を被ったのが昭和20年8月8日の『八幡大空襲』である。
この時の死傷者2500名の慰霊の意味で皿倉山では毎年8月8日とお盆には『八文字焼』が行われる。
戸畑バイパスを黒崎方面に向かうと、登坂の峠越しに皿倉山の山肌に八の字が見えるのがそれである。
この空襲には続きの物語がある。
昭和20年8月9日には長崎市に原子爆弾が投下されているが、実は長崎は第二目標で、その日の第一目標は『小倉市』であった。
当時小倉には『小倉造兵廠(こくら ぞうへいしょう)』という陸軍の武器を製造する工場群があって、原爆投下の条件を満たしていた。
その条件とは、まだ空襲を受けていないある程度の大きな都市で、東京と長崎の間にある戦略的価値のある場所ということだ。
第一目標の小倉に投下されなかった理由は、当日の天候が『曇り』であったことと『煙』で目標が上空から肉眼で確認できなかったからだ。
この煙の正体こそ、前日に行われた八幡大空襲の際の延焼の煙だったのだ。
B29は照準を3度やりなおし、爆弾を収納しているスペースの扉を開け、いつでも投下できる状態で小倉上空を旋回していたが、目視できなかったため長崎へ向かった。
以前、TVのドキュメンタリー番組で、8月6日に広島に原爆が投下されたことを知り、次は八幡製鉄所に違いないと思った人が、多数のドラム缶にコールタールを入れ、燃やすことによって煙幕を張ることを思いつき、8月9日に実行したが、後に長崎市に投下されたことを知り、現在に至るまで長崎に対する罪の意識に苛まれるというのがあったが、その程度の煙幕でどれほどの効果があるのか疑問で、気に病むことはないと思う。
当日の天候、前日の空襲による煙が重なって被爆を免れたことは事実のようであるが、だから落ちなくて良かった、という気分にはなれない。
その日、もし空が晴れ渡っていたら、僕が丸物デパートでアイスクリームを食べ、両頬に手をあて、『おいちーぃ』と目を輝かせることはなかった。
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