日日是好日 『寺田屋』で事件です

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

京都伏見に『寺田屋』という今も現存する旅館がある。

 ここは幕末マニアなら死ぬまでに一度は訪れてみたいという『聖地』でもある。

 今回は、この寺田屋で起きた事件をちょっと書いてみる。

 文久2423日(1862521日)島津久光が藩内の過激派を粛清するという騒動が起きる。

 この頃、島津久光はまだ討幕は考えておらず、雄藩連合と公武合体を意図していた。

 すなわち、力のある諸藩が連合を組み、朝廷と幕府が結び付きを強めることによってより幕藩体制を強化しようとしていたのだが、薩摩藩内には討幕を強硬に画策する反対派がいて、藩の政策に反するため、寺田屋に集結した過激派数名を斬殺した。

 また、慶應2123日(186639日)には寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行所の捕り方30名ほどが襲撃する。

 慶應2121日に『薩長同盟』が締結される。この際、同席していた龍馬を捕縛し、内情を掴むのが目的だ。

 深夜2時頃、入浴中だった妻の『お龍』が外の気配を察知し、裸のまま階段を駆け上がり2階にいた龍馬と三吉慎蔵に知らせ、その後乱闘となる。

 高杉晋作からもらったと言われるピストルを撃ち、捕り方2名を射殺して、何とか三吉と逃げ出したが龍馬は腕を負傷した。

 それらの事件からずいぶん経って僕は寺田屋へ行った。20歳くらいだったかな。

 500円くらいだったと思うが入場料を払い、柱に刀による傷とか龍馬が撃ったピストルの弾痕とかお龍の入った風呂桶などが残る建物を長いこと飽きずに見た。

その後、歴史好きが高じて更にあれこれ調べていたら、『鳥羽伏見の戦い』の際に焼失した町の地図というのを見つけ、何と寺田屋はその焼失地区に入っていて全焼していた。

 だったらあの刀傷や弾痕や風呂桶は何だったのか?

 そういえば、寺田屋の建物の横の石碑に『寺田屋址』と刻まれていて、『址(あと)』っていうのは『寺田屋がココにあった』ってコトじゃあないの?とずっと疑問に思っていた。

 15年ほど前、ある週刊誌に『寺田屋はニセモノ』の記事が出て、ちょっとした話題になった。

 どうやら明治になって再建された建物らしい。

 京都市も寺田屋を調査し、公式サイトを再建された建物であると修正した。

 昭和40年代、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が大ヒットし、坂本龍馬が幕末のヒーローとなった時、この古い旅館でひと儲けしてやろうと目論んだ誰かがこっそりと柱に傷をつけ、穴を開けたんだろうね。

 以上が、寺田屋における事件の内容である。

さあ、お仕事始めましょうか。


当事業所は安心の長期雇用・高待遇をキーワードに、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンという家電製品のリサイクルを業務にしている会社です。
元気いっぱい中高年の方を中心とした活気ある職場です。共に頑張り若松エコタウンを盛り上げましょう。

ヒューマンブリッジNKRC事業所はこちら♪♪

前へ

Signifiant Signifié + plus (シニフィアンシニフェ)さんの高級パンの詰め合わせ買いました

次へ

大分市賀来にある「GrandCafe(グランカフェ)」さんでランチ!