日日是好日 『東京初空襲』
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昭和17年(1942)4月18日土曜日の正午過ぎ、突如飛来した双発機により東京、横浜、横須賀、名古屋、神戸などが空襲を受ける。
黒くずんぐりとした機体は低空で飛行、爆弾を投下し機銃掃射を行って西の空へ飛び去った。
被害は軽微だったが軍部に与えた衝撃は大きく、その後の作戦に影響を与え、破竹の勢いの『無敵日本』の神話が崩れた瞬間だった。
空襲というとマリアナ諸島の『サイパン』『テニアン』両島から飛来した『B29』が連想されるが、この時の空襲は、空母ホーネットに搭載された『B25』(写真)という爆撃機16機によるもので、通常は空母に搭載しない機体で実施された。
B25を使用した理由は、その『航続距離』にあった。
何故なら、空母から発艦できてもこの種の機体は空母に着艦できないので、爆撃終了後は日本列島を横断して、当時連合国の一員であった『中華民国』の飛行場へ着陸するためである。
当初、爆撃後はソ連のウラジオストクに着陸する計画も立てられたが、当時日本とソ連の間には『日ソ中立条約』が結ばれていてこの案は見送られた。
では、何故このような『冒険』を敢えて実施したのか?
それは開戦後、アメリカ海軍は常に劣勢であり、アメリカ西海岸の近海では日本の潜水艦による『通商破壊』が行われており、貨物船の沈没や沿岸を砲撃されるという被害を受けていた。
そこでアメリカは国民の士気高揚のため、敵の首都である『東京』を攻撃する作戦を立案、空母ホーネットとエンタープライズを中心とした機動部隊を編成して訓練の後、太平洋を西へと向かったのである。
ところが、攻撃直前の4月18日の午前2時頃、アメリカ機動部部隊はレーダーに不審な小型船を確認する。
それは、日本海軍が東太平洋に監視のために配置した漁船群であった。
これらの漁船は民間から海軍に徴用され、海上で敵艦と遭遇した際にはすぐに無電を発信するという『人間レーダー』であった。
エンタープライズの艦載機と護衛の艦船は次々とこれら漁船を攻撃したが、機動部隊の行動が日本側に察知された。
そこでアメリカ側は予定を急遽変更、18日午前8時15分に全機発艦させ、機動部隊は急いで反転した。
日本側はアメリカ空母が通常の艦載機で攻撃して来るものと考えており、航続距離の都合上、空襲はもう少し本土に接近する翌4月19日になるものと思い込んでいたので完全に裏をかかれ結果は前述の通りである。
この緊急発進はB25のクルーには過酷なものとなった。
夜間に爆撃して朝に中国の飛行場へ降りるはずが、昼間に爆撃して夜間暗闇での到着へと変わったからである。
その結果、16機のうち15機が全損し、8名が日本軍に捕らえられ捕虜となり、3名が処刑された。
日本側は9機撃墜を発表したが、その痕跡はなく『9機ではなく空気だろう』と冷やかしとも取れる批判を受けたので、中国大陸に不時着したB25の残骸をかき集め、わざわざ日本にまで運ばせて靖国神社で展覧会を開いた。
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