日日是好日 『美談の完成』

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

昭和7年(1932)ロサンゼルスオリンピックが開催され、馬術大障害で西 竹一(にし たけいち)中尉と愛馬『ウラヌス号』が金メダルを獲得した。

 彼の家は華族で爵位は『男爵』だったので、『バロン 西』と呼ばれ人気を集めた。

 この時の馬術競技にはもう一つのエピソードがあった。

 競技にはもう一種目『総合馬術競技耐久』というレースがあり、自然に近い22マイル(32.29km)のコースを50以上の障害物を飛び越え、池や水濠を渡りながら疾走するというもので、とりわけ馬の持久力が勝敗を決めた。

 日本から参加したのは、城戸 俊三(きど しゅんぞう)少佐と愛馬『久軍(きゅうぐん)号』で、久軍は年齢19歳であり、人間の年齢に重ねると80歳を超えていた。

レース開始と共に久軍は快調に走り、他の馬を断トツで引き離し、あと一つの障害を跳び越えゴールすれば金メダルということだったが、障害を前にして城戸少佐は突如として馬から飛び降り、観客は目の前の出来事に息を呑んだ。

レース中、城戸少佐は久軍の異変に気付き、このまま最後の障害を越えれば死んでしまうと判断し、走ることを止めさせ棄権したのだ。

城戸少佐が久軍に寄り添いたてがみを撫でてやると、久軍は『ごめんなさい』と言いたげに少佐の肩に深く何度も頭を沈めた。

 並んで退場していく姿に観客と審査員までもが涙し、城戸少佐の愛馬精神に拍手を送った。

 2年後、アメリカ人権協会はこの愛馬精神を讃えて記念碑を建て、その銅板には英文字と並んで『情けは武士の道』と日本語で刻まれた。

 ここまでが美談として時折TVなどで語られることがあるが、真実ではない。

 実は、久軍号の棄権は最後の障害ではなく、34番目の障害物の前で、3度果敢に挑戦したが跳躍失敗による失格であり、ましてやトップを独走していたわけではない。

また、城戸少佐が後に親戚に語ったところによると、『あれは障害を跳べずに失格になったので下馬して帰っただけで、そもそも軍人は競技中に動物愛護で下馬はしない』と語ったそうである。

 しかし、当時はTVによるリアルタイムでの放送などなく、会場でその目で見た者以外は競技内容を遅れて新聞で知るといった程度なので、記者による創作がこの『美談』の発露なのかもしれない。

 アメリカは馬と共に発展したと言われ、馬に対して非常に愛着を感じる国である。

 したがって、『愛馬精神』というキーワードが出て、久軍が19歳だったということもあり、話が美談として膨らんで記念碑が建つまでに至ったということなのだろう。

 ある意味、愛馬精神を讃えられた日本であったが、その後の日米関係は険悪なものとなって戦争へと至り、馬術大障害で金メダルを獲得した『バロン 西』も硫黄島で戦死した。

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