日日是好日『八木アンテナ』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
太平洋戦争開戦直後の昭和17年(1942)、日本陸軍はイギリスの植民地であったシンガポールを占領する。
その際、イギリス軍の対空射撃用レーダーに関する書類を押収した。
日本の技術将校がその書類に目を通すと、『YAGI』という単語が頻繁に出てくる。
さっぱり意味が解らないので、思い切って捕虜に聞いてみた。
すると、
『あなたは本当に知らないのか、このアンテナを発明した日本人の名前じゃないか』
レーダーとは、簡単に言うと目標物に電波を当て、その反射波を受信して方向や位置を測定する装置である。
言うのは簡単だが、電波の送受信に必要なアンテナが必要になり、その開発に手を焼いていた。
そんな中、1925年に八木 秀次(やぎ ひでつぐ)よって八木アンテナが発明され、特許出願された。
最近では、共同開発者である宇田 新太郎の名前も入れ、『八木・宇田アンテナ』と呼ばれている。
この発明に世界中の軍隊が飛び付き、レーダーの性能を格段に向上させ実用化していった。
へえ、すごい発明なんだね、どんなモノなの?
てか、知らないの、お宅の屋根にもあるでしょ、テレビを観るための、ほら魚の骨みたいなアンテナが、それですよ。
不思議なことに、日本の軍人はこの大発明に無関心であった。
理由は、『戦場で電波を出すなどもってのほかである、こちらの位置がバレるじゃないか』とか『守ってばかりで戦争に勝てるか、攻撃こそが最大の防御だ』みたいな『精神論』が幅を利かせたとの声もあるが、『誰が民間人の特許なんかに頼るか、陸軍にも海軍にも技術者はいるんだ』というのが本音だと思う。
結局、レーダー未装備のまま戦争が始まると、戦況は次第に不利になっていった。
昭和17年(1942)6月のミッドウェー海戦における日本の空母機動部隊には、信じられないことだがレーダーを装備した艦艇は一隻もなく、敵攻撃機発見のための道具は見張り員達の双眼鏡のみといった有様で、発見できたのは敵機がまさに空母に向かって急降下に入ったその時だった。
いくら上空に雲があったとはいえ、虎の子の空母4隻をたった1日の戦闘で失った。
その後の海戦や航空戦もレーダーの不備や遅れて開発した低性能レーダーでは戦局を挽回することが出来ず、最終的には2発の原子爆弾の投下により日本は無条件降伏した。
そして、皮肉にも広島と長崎に投下された原子爆弾には、適切な高度で爆発させるための高度計用のアンテナとして『八木アンテナ』が取り付けられていた。
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