日日是好日 『下関戦争』

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文久3年(1863)3月、将軍徳川家茂が上洛し、孝明天皇と一緒に上賀茂神社へ参拝することになった。

 

家茂の行列が参道を抜けていると、大勢の見物人の中から『いよっ、征夷大将軍!』とヤジを飛ばす馬鹿野郎がいた。

 

声の主は、高杉晋作だとされている。

 

彼の逸話として歴史好きには有名だが、史実にはない。

 

その日は雨だったので、天皇の到着を待っていた家茂はその後の体調が思わしくなかった。

 

そんな折、孝明天皇から『攘夷はいつ決行するんだ』と詰め寄られる。

 

天皇は『外国』が大嫌いで、とにかく異人をこの国から追い出せと息巻いた。

 

返答に困った家茂は『510日にやります』と答えてしまう。

 

普通に考えれば攘夷など無理な話で、諸藩には対抗できる武器もなく、田舎の藩などは『そもそも異人ってどこにいるんだ?』みたいなことだったのだが、長州藩だけは大いに張り切った。

 

獲物は目の前の『関門海峡』をいくらでも通るし、下関側の沿岸には整備した砲台群が連なっている。

 

511日未明、砲撃を実施してアメリカの商船を遁走させた。

 

これに天皇から『お褒めの言葉』があり、これに気をよくした長州藩は関門海峡を封鎖して外国船を次々と追い払った。

 

ところが、翌年の元治元年(1864)85日、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの連合艦隊が報復攻撃に出た。

 

前田、壇之浦砲台に攻撃を加え、おまけに陸戦隊まで上陸させ砲台を占拠して砲を戦利品として持ち帰った。

 

この戦いで長州側はほぼ全部の砲台を破壊され戦死者18名、負傷者29名をだしたが、連合国側も戦死者12名、負傷者50名を出した。

 

こうしてみると、人的被害は連合国側の方が多い。

 

この戦いの後、イギリスが長州藩に対して損害賠償を要求してきた。

 

長州側の使者として彦島沖に停泊するユーライアラス号に高杉晋作と通訳として伊藤博文が乗り込んだ。

 

賠償金の支払いについて高杉は、長州にそんな金はないし、そもそも将軍の命令でやったのだから金は幕府に請求するように言った。

 

伊藤の後日談によると、この後イギリス側から『彦島を貸してくれないか?』との話が出たが、高杉は断固反対した。

 

彦島は『香港島』とほぼ大きさが同じで、ここがもしイギリスの租借地になっていたら、その後の日本の歴史もどうなっていたかわからなかった。

 

すると高杉は、日本の国土は天皇のものであり、天皇というのは・・・・、と神話の頃からの歴史を延々と語りだし、伊藤もイギリスの通訳も訳すことができず、2時間近くも語ったものだからイギリス側も根負けして租借の話はなくなった、という。

 

だがこの彦島のエピソード、イギリスの通訳官の記録には一切出てこないので、伊藤博文の作り話であると思われる。

 

高杉晋作は後世の歴史好きが思っているほど破天荒な馬鹿野郎ではない。

さあ、お仕事始めましょうか。


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