日日是好日 『とらじろう』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
ある教育関連会社のキャラクターがいて、その名を『しまじろう』という。
そのキャラクターは虎なので『とらじろう』の方がいいんじゃないかと思っているのだが、
それだと吉田松陰先生の通称『寅次郎』とカブってしまい、あまりに恐れ多いので『しまじろう』にしたのではないだろうか、と考えている。
吉田松陰といえば『松下村塾』なのだが、実際開いたのは叔父さんの玉木文之進(たまき ぶんのしん)という人で、松陰が引き継いだのは2年間ほどだ。
また、桂小五郎(木戸孝允)や井上門多(井上 馨)は塾生ではないようで、山縣有朋や伊藤博文も後になって、塾生でしたと語っているに過ぎない。
松陰はドラマなどでは温厚で優しそうな細面の二枚目が演じているが、実は過激な人で、黒船来航の際には『外国へ連れていけ』と密航を企て断られると、それを何故か自分から奉行所に名乗り出て牢獄へ。
また、日米修好通商条約を天皇の許可なく勝手に結んだ老中の暗殺を企てたりするので、弟子たちが『もう、いい加減にしてくださいよ』と抗議したが『この、腰抜けどもが!』と大いに怒った。
『安政の大獄』という幕府に対する危険思想の持ち主の一斉取り締まりの際にも、過去の密航の企てについての取り調べを受けたのに、これまた黙っていればいいものを老中の間部 詮勝(まなべ あきかつ)暗殺計画を自分から喋って、ついに処刑された。
このことから、松陰としては自分が処刑されることによって『後に続く者を信じた』と書かれた本などを見るが、そんな崇高なことではなく、感情が高まると自分を抑えることができない『困ったちゃん』なのかも知れない。
処刑後、松陰は江戸の小塚原に埋葬されたがそこは刑場でもあったので、それでは忍びないということで、塾生の高杉晋作らが掘り起こして遺体を長州藩の菩提寺に運んだ。
その一行が現在の東京都台東区上野3~4丁目の『上野広小路』にあった『三橋』に差し掛かった時、ひと騒動起きる。
三橋とは川にかかった3本の橋であり、左右は庶民が使用し、真ん中の大きく立派な橋は、徳川家が寛永寺に参詣するための将軍専用の橋であった。
その中央の橋を高杉一行は番人が制止するにもかかわらず渡ったと後世に伝えられ、晋作の痛快なエピソードとして歴史好きが胸躍らせるが、これもまた史実ではない。
こうしてみると、吉田松陰の人となりやエピソードなども創作のホラ話が多い。
書き出しの『しまじろう』についても吉田松陰にカブっているからなどホラ話を書いてはいけない気がしてきた。
実際は、松陰にあやかり『とらじろう』としたかったが『姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します』の『寅次郎』にカブっているからではないか、とも思う。
しかしコチラの寅次郎さん、気持ちが高まると自分を抑えられない松陰に対してなかなか良い教訓を与えている。
『それを言っちゃあ、おしまいよ』
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