日日是好日 『西郷隆盛は写真がお嫌い』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
去年、滋賀県で西郷隆盛から大久保利通へ宛てた手紙が発見された。
個人から県立琵琶湖文化館が寄託を受けたものらしい。
実は、発見された歴史上の有名人の手紙というものは所在が全てはっきりしている。
徳川家康や坂本龍馬など、どこの博物館が所蔵し、どこの誰が所有しているかなど全て判っているのだが、この手紙に関して言うと内容は判明し、資料として記録されていたが、実物は所在がしばらく不明になっていた。
興味を引くのは、数ある西郷の手紙の中でもこの手紙が西郷の『写真嫌い』の根拠とされているからである。
手紙の内容は、大久保からの手紙に返事を書いたものなのだが、同封された肖像写真を見た西郷が『大久保さん、何という醜体でしょう。もう写真などお撮りにならない方がよろしいですよ』と書かれていることだ。
ああ、やっぱり西郷さん、写真嫌いなんだ。だから、本人が写った写真がないんだね、と言われている。
また、西郷は明治天皇からも『写真を撮って、貰えないかな?』と二度言われたが、二度ともお断りしている。
これもまた西郷の写真嫌いを伝えるエピソードだ。
大久保の肖像写真については『あんまり調子に乗らないように』という西郷の皮肉で、天皇が欲しがっても写真を撮らなかった理由は『顔を知られたくない』からだ。
写真が流布されて西郷隆盛だと認識されると『夜な夜な遊びに行けなくなるじゃないか!』
ということではなく、暗殺を危惧していたのだと思う。
京都近江屋で坂本龍馬が斬られた際、訪ねてきた刺客は『坂本先生』と声をかけ『はい、何でしょう?』という返事を聞いて斬りかかっている。
この部屋には中岡慎太郎もいたわけだから、どっちが坂本なのか判らなかったのだ。
だから、顔を知られていないということはそれだけ利点があった。
明治になって、大久保利通、伊藤博文、木戸孝允、岩倉具視といった大物政治家の肖像写真が売り出されブームとなった。
だが、西郷だけは写真が無いからニセモノが多く出回って、ある神社の神主さんが写真屋をのぞいたら、自分の写真が西郷隆盛として売られていたなんて話もある。
だが、そんなニセモノ写真の中にも興味深いものがあって、同じく西郷隆盛と書かれた『永山弥一郎』という人の写真がある。
この人は薩摩人で西南戦争時、四番大隊長を務めた人物である。
昭和の初め頃、この写真が新聞に掲載され『ヒゲある英雄 西郷どんの御真影』という見出しで紹介された。
さらに昭和も終わりに近くなり、TVの歴史番組においてその写真から、永山弥一郎と西郷はよく似ていて『影武者』だったんじゃないかという説まで出た。
以来、今日に至るまで忘れた頃になると『これが西郷さんだ!』という写真が出てくる。
『ない!』というものを『どうしても見たい!』という気持ちは察するが、決定的根拠は得られないと思う。
だが、外国人カメラマンが明治天皇を隠し撮りした写真があるので、外国を探したら出てくるかも知れない。
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