日日是好日 『四面楚歌』
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今から随分と昔、楚(そ)という国と漢(かん)という国が戦争になった。
楚を率いる武将の名を項羽(こうう)といい、漢を率いる武将の名を劉邦(りゅうほう)といった。
垓下(がいか)という所での戦闘で楚軍は負け、項羽と愛人の虞(ぐ)は陣地に立て籠もった。
ある夜のことである。
楚の陣地を包囲する漢軍が楚の国の歌を歌い始めた。
その歌を聞いた項羽は敗北を認め、自分にはもう付き従う人間は誰もいないことを悟った。
ここで、なぜ項羽が悲観し絶望したのか考える必要がある。
項羽は楚の人間であるから、楚の歌は勇気付けられるはずなのだが、楚の歌を歌っているのは漢軍と敵軍に寝返った楚の反逆者で、その数の多さに失望したのである。
すなわち、楚は完全に漢に支配され従うことにしたんだな、孤立している自分は祖国からも切り離された『敵』という存在なんだなと悟ったからである。
このことから、東西南北すべて敵に囲まれ孤立し、また身内からも助けがないことを『四面楚歌(しめんそか)』といわれるようになった。
この後、自害した虞の墓の周囲に咲いた赤い花を『虞美人草』といい、和名では『ひなげし』と呼ばれている。
勝った劉邦は、歴代皇帝の中で二人しかいない農民出身者で、通説ではとにかく弱い武将であり、項羽と72回戦って最後の1回だけ勝って皇帝になった。
ある日、ある国の首相が党首討論において『四面楚歌じゃないか』と突っ込まれ『私自身は四面楚歌とは感じていない』と答え、どよめきが起こった。
この後も、『四面楚歌の理由はトップが責任を取らないからで、潔く辞めたらどうですか』とも言われた。
それに対して、『ひとつひとつ結論を出すことが大事で、先送りできない課題に結論を出していく』と答え、『辞めないよ』という意思を表した。
相手がせっかく司馬遷(しばせん)という人が書いた『史記(しき)』という中国史上最高傑作といわれる歴史書から『四面楚歌』のエピソードを振ってくれたのだから、『私は、劉邦のように71敗しているかもしれませんが、最後の一戦で勝利を収めるつもりだ』
くらいの切り替えしができれば、『博識メガネ』とアダ名が付いたに違いない。
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