日日是好日 『西 竹一とウラヌス』

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

オリンピックパリ大会の総合馬術団体において、日本が銅メダルを獲得した。

 

選手らは『初老ジャパン』と自嘲していたが、馬術でのメダル獲得は92年ぶりの快挙であった。

 

そこで、92年前のメダリストは誰であったのかが話題となり、歴史に埋もれていた『西 竹一(にし たけいち)』の名前が脚光を浴びた。

 

明治35年(1902)華族の家に生まれた彼は、父親の死よって幼くして爵位である『男爵』と莫大な遺産を受け継ぐ。

 

陸軍軍人となり、当時花形であった『騎兵』の道を歩む。

 

昭和5年(1930)西がイタリア滞在中に一頭の馬と出会う。

 

体高(肩までの高さ)が181㎝もある大きな馬で、性格は激しく、西以外は誰も乗りこなせなかった。

 

西はこの馬を買い入れ、額に白い星型の斑点があったので『ウラヌス(天王星)』と名付けられた。

 

余談だが、ミッキーマウスの愛犬の名を『プルート』というがこれは『冥王星』のことで、1930年の映画公開の同年に発見されたのでこの名が付いた。

 

このウラヌスと参加したのが昭和7年(1932)オリンピックロサンゼルス大会で、馬術大賞典障害飛越競技に参加して金メダルを獲得した。

 

この頃の馬術競技というと、選手は全員騎兵科の軍人で、軍服姿で乗馬し得点を競うというもので、ある意味、軍事力のデモンストレーションであった。

 

この時の西とウラヌスの競技の様子を写した映像を見たことがあるが、驚くべきことにウラヌスは障害を飛翔するたびに伸ばした後ろ両足を巧みに捻り、障害物に引っかかることの無いように飛翔している。

 

優勝後のインタビューで『We won(我々は勝てり)』と答え、175㎝の身長で流暢な英語を話し、特注したスタイリッシュな軍服を着こなすダンディーで、男爵ということもあって『バロン西』と呼ばれ人気は絶大であり、アメリカ滞在中は現地で車を購入してドライブを楽しみ、ハリウッドスターとも交流があって社交界においても『花形』で、ロスアンゼルスの名誉市民にもなった。

 

ちなみに、ブーツも含め馬具は全て『エルメス』の特注品であった。

 

時は流れ、日米関係は次第に険悪になり、昭和16年(1941)ついに戦争へと至った。

 

当時、中尉だった西も中佐となり、騎兵の時代も去って、戦車第26連隊隊長になった。

 

昭和19年(1944717日、戦車26連隊を乗せ『硫黄島』へ向かっていた輸送船が、父島沖でアメリカ潜水艦の雷撃を受け沈没、西は命からがら硫黄島へ到着したが、戦車もすべて沈んだため、8月に戦車を再受領するため一旦帰国した。

 

その際、馬事公苑において余生を過ごす年老いたウラヌスと再会した。

 

足音を聞いただけでウラヌスは狂喜し、西にすり寄って来たという。

 

西は、ウラヌスのたてがみを切って懐に収め、これがウラヌスとの最後の別れとなった。

 

再び硫黄島に戻った西中佐はアメリカ軍が島に上陸すると、戦車部隊を指揮して奮戦したが、昭和20321、もしくは22日に戦死したと伝えられている。

 

42歳であった。

 

西の戦死から1週間後の3月下旬、ウラヌスも静かに息を引き取った。

 

西中佐が最期を遂げるまで身につけていた『ウラヌスのたてがみ』がアメリカで発見され、北海道十勝本別町歴史民俗資料館に収められているという。

 

遠い昔の栄光に思いを馳せ、西 竹一とウラヌスは星々が煌めく銀河を、今も駆けているに違いない。

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