日日是好日 ちょっぴり文学好き 三島由紀夫著『真夏の死』

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

朝子は、三人の子供と義妹と共に伊豆の海を訪れる。

 

朝子は海辺の旅館で午睡をし、義妹と三人の子供は海水浴へ向かう。

 

そこで事故が起きた。

 

子供が波にさらわれ、義妹は心臓発作を起こして救助する事ができず、結局、朝子の二人の子供と義妹は溺死する。

 

以来、朝子は一人残った末っ子を溺愛しつつ、この出来事から時間の経過とともに立ち直っていくが、『出来事』が次第に薄れていく自分に薄情を感じる。

 

また、子供達を死なせてしまったが、朝子はまだ生きている。

 

そのことがまるで悪事をしているようにも思え、生きていいるということは何と残酷なことだろうとも感じていた。

 

そんな中、朝子は夫との間に子供を授かる。

 

しかし、気が変になるわけでもなく正気のままでいる自分や、神経の図太い自分に絶望を味わう。

 

事故があって2年目の夏、朝子はあの海岸へ行きたいと言い出す。

 

夫は反対したが、何度も言うのでついに行くことにした。

 

家族4人で波打ち際に立った。

 

夫が朝子の横顔を見ると、朝子は授かった娘を抱き、じっと海を見つめ放心していて、『何かを待っている』表情を浮かべている。

 

夫は何を待っているのか訊こうとしたが、その瞬間に訊かないでもわかったような気がして、繋いでいた息子の手を離さないように強く握った。

 

以上が小説の概略である。

 

難解な作品ではあるが、実は主人公の朝子は、作者の三島自身なのだ。

 

朝子は、自分が絶望しないことや狂気に陥らないことに絶望していて、周囲から非難の目で見られていることも承知しているが、現実感が持てないのである。

 

何故なら、現場にいなかったからだ。

 

では、三島自身の真夏に起きた現実感のない絶望とは何か?

 

それは、815日の終戦である。

 

それを暗示するものとして、本作品の脱稿日が1952815日となっていて、それが三島の仕掛けた本作品への道標である。

 

彼は終戦時二十歳で、戦争による『死』を意識していたのだが、午睡をしていて事故現場におらず現実感の持てない朝子同様、彼は兵士として戦争には参加しておらず戦場を知らない。

 

虚弱体質ということもあったが、徴兵検査の際、軍医に嘘や言い訳を重ねて戦争に行かずに済んだという話が自伝的小説にある。

 

嘘をついてまで生き残った卑怯な自分、兵士として祖国のために戦い、また戦死した同世代の男性に対するコンプレックス。

 

だから、生きているということは『残酷』なのである。

 

三島自身は何を待っていたのだろう。

 

そして、どんな行動を起こそうとしていたのか。

 

それが、昭和451125日の決起だったとしたら。

 

真夏の日差しを受けていて、ふと、そう思った。

 

 

 

さあ、お仕事始めましょうか。

 


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