つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㉗
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言㉗ です★
薩長同盟と坂本龍馬②
下関による会談は西郷さんのドタキャンによっておジャンになりましたが、どうにか再び会談を行なう運びとなりました。
慶応2年(1865)1月21日、京都の小松帯刀邸だと言われています。
薩長両者ともなかなか話を切りださず、木戸孝允さんが帰りかけたところ、坂本龍馬さんが西郷隆盛さんを別室で怒鳴りつけて、『それではあまりに長州が気の毒だ。長州の気持ちも考えてみろ』とかなんとか言ったそうですが、たしかなことは不明です。
薩長同盟とは6条から成っていて、1条・・・・長州が対幕府と戦争になったら、京、大阪に薩摩は出兵し圧力をかける
2~4条・・長州が勝っても負けても、薩摩が朝敵の汚名を晴らしてくれること
5条・・・・敵は幕府ではなく、徳川慶喜、会津と桑名藩
6条・・・・復権したら一緒に頑張っていこうね
とまあ、こんな感じのようです。
なぜ、こんなに軽~く書いているかと言うと、実は明文化されていないのです。
ふつう、同盟や条約というものは明文化して署名するものですが、この事が万一、幕府にバレたらこの先上手く運ばないでしょ、ということで文書は作成しなかったそうです。薩摩にしてみれば最悪の場合、知らぬ存ぜぬで通せるからでしょうし、そんなに乗り気じゃあなかったってことでしょう。
ですから、木戸さんにしてみれば半信半疑であったのでしょう。記憶を頼りに、こんなことを約束したよねってことで、記憶をもとに紙に書いて坂本龍馬に送りつけ、間違いなければ裏書して署名しろ、っていうことになって現在まで残されています。
これですっかり坂本さんが同盟の立役者ってイメージですが、木戸さんにしてみれば他に頼める人はおらず、いかに孤立していたかということですが、頼む方も頼む方なら書いた方もよくもまあ書いたなあって気がするんですけど・・・・。
しかし、この会談によって以前下関で約束した、薩摩藩名義による外国からの武器購入が現実化し、亀山社中はひと儲けでき、坂本さんは長州藩でのウケが良くなり、この後、下関での事業を考えるようになりました。
武器を手に入れた長州藩はこの後の幕府軍による第二次長州征討の際、長州藩は大いに奮戦して幕府軍を蹴散らしました。
薩長同盟斡旋の後の慶応2年1月23日深夜、伏見の寺田屋に長州藩士の三吉慎蔵、妻のお龍と宿泊していた坂本さんは伏見奉行所の捕り方に踏み込まれます。
どうやら薩長の間を取り持つ怪しい浪人がいるんで、とっ捕まえて白状させてみるかってところでしょう。
入浴中のお龍さんが外の気配に気付いて、裸のまま2階の坂本さんらに伝えたっていうことですが、これは作り話じゃあないですかね。小説にちょっと花を添えるってことじゃないかなあと思いますが。
坂本さんは高杉晋作さんから貰ったというピストルで2人ほど撃ち殺し、三吉さんも自慢の槍で数人死傷させたそうです。
まあ、そんなこんなで坂本さんと三吉さんはなんとか脱出し、お龍さんは伏見の薩摩藩邸に駆け込み、捜索隊が出て、二人は九死に一生を得るわけです。
奉行所の立場から言うと、これは立派な公務執行妨害で死傷者も出ていますから、坂本さんや三吉さんは指名手配犯になりますね。この一件が後々坂本さんの坂本さんや三吉さんは指名手配犯になりますね。この一件が後々坂本さんの命を縮めることになるわけですが、これはまた後日ということで。
この事件の後、坂本さんとお龍さんは西郷さんの計らいで薩摩へ赴き、これが日本最初の新婚旅行といわれていますが、これもちょっとマユツバものです。
2階の『旅籠寺田屋』看板のあたりが当時、龍馬さん達がいた部屋です。
柱には弾痕もあるんですが、この建物、実は鳥羽伏見の戦いの際に焼失されたみたいです。
と、いうことは・・・・。
あまり深く考えるのはやめておきましょうかね。
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