つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㉟

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

歴史好きの独り言㉟ です★

熊本城 

明治になって萩城を手始めに日本各地にある城郭は次々に破壊されました。徳川封建体制の象徴だったからですね。

次第に取り壊され、残されたいくつかの城も空襲によって消失、したがって当時の姿を残す天守閣は国内に12しかありません。

ただ、熊本城はちょっと事情が違います。今回は、その辺から書きます 。

そもそも熊本城というのは、徳川幕府における対薩摩戦略の最前線基地なワケです。

関ヶ原以降、幕府にとって薩摩はずっと目の上のタンコブだったわけで、もし、薩摩が江戸に向かって進撃して来たら、まず熊本城で食い止めるハラでした。

ですから、本州へ渡る手前に小倉、渡っても広島、岡山、姫路、それに大阪と大きな城が築かれているのはそのためです。 

江戸時代には薩摩の進撃はありませんでしたが、築城から270年ほど経った明治10年、薩摩の攻撃を受けました。西南戦争です。

薩軍が城を包囲した際、すでに天守閣は焼失していました。

謎の出火によると言われていますが、私は自焼、つまり熊本城に立て籠もる政府軍が自らの手で焼いたものだと思っています。

何故なら、近代の篭城戦は大砲の火力がモノを言います。

つまり、自分の陣地内に木と紙と土で作られた大きな建物があれば砲撃目標になりますし、また被弾の際、炎上してしまうので応戦の足かせになってしまうからです。

この時の熊本鎮台司令官は谷干城(たに たてき)という土佐の人で、幕末京都で坂本龍馬が暗殺された際、真っ先に現場に駆けつけたそうです。熊本城そばの公園内に軍服姿の銅像となって、現在もお城を護っています。

天守閣炎上の際の火の勢いは凄まじく、周囲の城下町も焼け、城郭を中心にして周囲は焼け野原になったそうですが、それがかえって包囲する薩軍から身を隠すものを奪う結果となって、城内からの射撃の効果が上がり、熊本城内には一兵の薩軍も突入することはできませんでした。

桐野利秋が熊本城などは青竹一本で充分だと豪語しましたが、薩軍は攻略を諦めました。

その時西郷隆盛は、我々は政府軍に負けたのではなく、加藤清正公に負けたのだ、と言いました。

そんな難攻不落の石積みも優美で力強さを誇る天守閣も地震で倒壊してしまいました。復旧には20年かかるのだそうです。

『お城好き』としては、再び写真のような美しい姿を見たいと思いますし、工事の安全を心より祈っております。

さあ、お仕事始めましょうか。


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