つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㊳
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言㊳です★
天下分け目、関ヶ原①
決戦への布石
豊臣秀吉死す、享年62。
足軽から身を起こし、トントン拍子に出世して、例えるなら大きな会社を一代で築いた秀吉でしたが、まあ、後がいけませんでしたね。
何しろ、このとき後継ぎの秀頼はまだ幼く、次期社長の仕事は無理です。
そこで台頭してきたのが徳川家康ですね。
豊臣株式会社の取締役だったわけですが、他の取締役達を追い落としてみたり、勝手に大名と姻戚関係を結んで勢力を拡張したりとやりたい放題です 。
そこで、豊臣株式会社の社長室長ってとこかな?石田三成と対立します。
そもそも豊臣株式会社は、社長の秀吉が武家の出ではなかったので、古い武家同士の付き合いなどは皆無で、恩賞による同盟によって大きくなっていきました。
ですから、倒す敵がいなくなり与えられる領地が無くなったので、朝鮮に出兵したわけです。
まあ、そのあたりから石田三成と秀吉恩顧の家臣たちと対立が始まります。
明智光秀を倒し、家康を抑えているころまでは良かったのですが、会社がだんだん大きくなって、イケイケだったのがひと段落すると、今までのモーレツ社員より制度とか規約を作って組織をまとめていこうとする社員が重宝されます。
それが、石田三成ですね。
ですから、福島正則、黒田長政、加藤清正など戦場を駆け回った武将達にしてみると、面白くないわけですよ。
『俺達が朝鮮で苦戦していた頃、おまえは机に向かっていたのだろう』と。ソコを家康は
巧みに突いて味方に引き込んだワケですね。
家康と三成の対立は加速し、どれだけ味方を付けるかが勝敗の鍵です。それでお互いダイレクトメール作戦とでも言いますか、手紙を方々に送るわけです。私に味方してくれたら、勝利の際にはあそこの領地を差し上げますよってことです。
しかしまあ、三成は家康の10分の1ほどの石高しかないのによくもまああれだけの応援を得たものだと思います。毛利輝元を味方に付けたことが大きかったのでしょうね。
この争い、正しいのは三成です。『五大老・五奉行』という既存の制度に対して違反しているのは家康なのですから。
ただ、今後の豊臣家のことや日本全国の行く末を考えたとき、現在の制度を遵守するより多少腹黒いところはあるけれども実力とか能力とかを冷静に判断すると、やはり次期社長は家康だろうという思いが多かったのだと思います。
三成と家康がたくさん送った書状ですが、三成からのものは現在、ほとんど残っていません。恐らく多くの大名が三成、家康の2通の書状を受け取ったはずですが、西軍の三成方が負けたので、残しておくとマズかったからでしょう。
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