つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言
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歴史好きの独り言㊵です★
天下分け目、関ヶ原③
島津の退き口
関ヶ原は交通の要衝で、東西を中山道が貫き北へ北国街道、南へ伊勢街道が延びています。そんな街道がちょうど交差している辺りで合戦が行なわれました。
小早川秀秋の裏切りによって西軍は壊滅、敗走が始まります。
田原坂のときにも書きましたが、軍隊が移動するにも道が重要で、田んぼや野原や山林を歩くわけにはいきません。
そこで、西軍は北国街道か中山道を退却するしか他にないわけです。7万人程が退却するので渋滞しますよ。そこへ、東軍が追撃するのですからとにかく大混乱ですね。
そんな中、関ヶ原の戦場に取り残された一団がありました。薩摩隊です。
薩摩隊は合戦の最中にも動かずじっとしていました。
当初、合戦前には伏見城の東軍に加勢しようとして徳川家臣の鳥居元忠に断られ西軍に加わったという経緯と合戦中に石田三成からの応援要請を馬上からの物言いは無礼であると追い返した経緯がありました。
悪い言い方をすれば、日和見が過ぎたって事かもしれませんが、どっちつかずのまま、気がつくと徳川本隊が目の前に迫っています。
ここは退却するのが良策ですが、先ほども書いたように後ろは渋滞で大混乱しています。後に退くと動けなくなり徳川本隊に攻撃されてしまいます。
そこで薩摩隊がとった行動は、まさに前代未聞。普通、退却とは後方に退くものですが、薩摩隊のとった行動は敵に突撃して前に退却することでした。
前方の敵を突破できれば伊勢街道があり退路が開けるからですね。
そして、目的はただひとつ、主君島津義弘を無事に薩摩へ帰還させることです。
薩摩隊の戦術は功を奏し、突撃を受けた徳川本隊に一瞬の隙間が生じ、敵中突破は成功します。
伊勢街道方面へと本陣の眼前を横切る薩摩隊約800名を見たとき、家康はさぞ驚いたことでしょう。
この退却戦がまた凄まじく、数十人が留まっては追撃してくる徳川軍に対して全滅するまで留まり、また次の隊が留まるを繰り返し、甥の島津豊久も身代わりとなって戦死するという壮絶な退却戦を展開しました。
この結果、主君義弘は生還できましたが、残った家臣も70名ほどだったと言います。
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