つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㊷
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歴史好きの独り言㊷です★
韓征論と西郷隆盛②
薩摩の島津斉彬が賢君と呼ばれる所以は海外事情をいち早く入手し、ロシアの南下政策に対して警鐘を鳴らしたことによります。
彼の構想は、清国、朝鮮国と日本が共同して満州あたりで連合軍を編成し、防衛線を張ってロシアに対抗することでした。
この構想は、斉彬から西郷隆盛に継承されます。
そんな頃、約2年にわたって欧米を視察した使節団が帰国します。
留守政府を預かっていたのは、三条実美、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、大隈重信などで、当初、使節団が戻るまでは大きな取り決めは行なわないとの約束でしたが、学制や徴兵令、地租改正などを行い、上記のメンバーが実質日本を動かしていたわけです。
そんな中、使節団が戻ってみると、無いワケですね自分達の居場所が、使節団で赴いた木戸さんや大久保さん達の・・・・。
で、その頃、朝鮮国と国交を結ぼうと働きかけるのですが、拒否されてしまうのです。
朝鮮国にしてみれば、今まで同じように鎖国していたのに、維新だか何だか知らないけれど急に開国なんてしちゃって、西洋にかぶれたの?そんな国家なんて信用できないよ、というところでしょう。
朝鮮国の態度に西郷さんはがっかりです。
なにしろ斉彬公の構想が実現できないばかりか、朝鮮国や清国と協力してロシアに対抗しなければ日本だってこの先どうなるかわからないからです。
西郷隆盛の魅力は『善意』です。
自分が使者として朝鮮国に赴き、善意でもって話し合いをして理解を得ようとするわけです。
ところが別の選択肢もあって、武力でもって脅すなり、いっそのこと戦争を仕掛けて朝鮮国を屈服させればいいじゃないかという意見が出てきます。
これが、『征韓論』です。
ですから、西郷さんは決して征韓論者ではありません。
この問題を好機到来と受け止めた人物がいました。それまで帰国後居場所のなかった大久保利通です。
彼は、西郷さんの朝鮮国派遣も板垣退助等の強硬派意見にも真っ向から反対します。
何故なら、使者西郷さんが無事に帰国できる保障はありませんし、万一、危害を加えられるようなことがあったら強硬派の考える戦争になる可能性もあるからです。
いやあ、さすが大久保さんと言いたいところですが、彼の考えはもっと深いところにあるのです。
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