つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㊸
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歴史好きの独り言㊸です★
征韓論と西郷隆盛③
『脱亜論』というのがあります。お書きになったのは福澤諭吉という人です
簡単に言うならこうです。
そもそも、日本の悲劇は隣に清国と朝鮮国があることであり、両国は未だに国を閉ざしている。そんなことではいつ西欧列強に征服されるか分からないし、万一、そんなことになれば日本だって危険に晒される。だったらいっそのこと、アジアという連帯意識から抜け出して欧米列強のように日本も振舞ったらどうだろう。
2000字程度の短文ですが、昭和20年の敗戦まで近代日本の根底にある理念はコレですね。
話を元に戻します。
西郷さんの朝鮮国派遣を支持する征韓派に真っ向から反対する大久保さんでしたが、彼の真の杞憂は朝鮮国に派兵でもすれば欧米列強が黙ってはいないだろうということです。
何故ならこの頃、欧米列強の考える地球上の空き地というのは満州と朝鮮半島くらいしか残っていません。もし仮に、日本が進出しようものなら欧米列強は黙っているはずがありません。各国が狙っているからです。
日本の『フライング・ゲット』を許可するはずは無く、もしゲットしようものなら逆にケンカを売られる可能性すらありますから。
したがって、実のところ頭の中は征韓派に近いのですが、外国の諸事情を知っているが故に反対なのですね。実際この後、清国との戦争に勝利した際、『三国干渉』という憂き目に遭っているので、大久保利通という人物の先見性のスゴさが解ります。
そして、さらにその案件を利用して再び新政府の中心へと返り咲くのですからたいしたものなのです。
結局、何だかんだの末、三条実美の病気をいいことに代理人の岩倉具視を動かして、一度は決定した西郷さんの朝鮮国派遣は却下とし、西郷と征韓派の板垣、江藤等は参議を辞職して、大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文等使節団組は再び国政の中心となりました。
これを『明治6年の政変』といいます。
西郷さんの『理想』は大久保の『現実』の前に敗れ、倒幕、維新の両雄は完全に決別してしまいました。
この時、西郷さんと共に多くの薩摩人が東京を去り、地元鹿児島で『私学校』を開設し、明治10年の西南戦争の火種になりました。
自分の信念のためには竹馬の友でもある西郷隆盛すら倒してしまう大久保利通。彼の実務者としての冷徹さは徹底しています。後にこの現実主義者の抱える苦悩の震源が地元鹿児島になります。
それこそが大久保利通という人の悲劇で、昭和54年まで彼の銅像が地元鹿児島に建立されなかった理由も彼の不人気が影響していたのかも知れません。
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