つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㊹

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

歴史好きの独り言㊹です★

西南戦争への道程①

明治6年の政変によって、西郷隆盛や征韓派の参議、また多くの役人、軍人が政府を去っていきました。その数、600名以上。

たちまち政府は人手不足になってしまいました。 

大隈重信などは、参議は東京を去っちゃダメ、今、発言力を失うと大久保利通の思う壺だぞ。

とまあ、声をあげました。

ところが、旧佐賀藩出身の江藤新平は地元での政府に対する不平・不満の勢力を抑えるため帰郷しましたが、何だかんだとほだされて、結局、反乱の首魁となり、明治7(1874)

年2月、佐賀の乱を起こします。

帰郷した征韓派と今まで通りの武士による政治運営を行ないたい保守派による政府に対する不満が爆発したというものです。

この事態に大久保さんは小躍りして喜び、熊本鎮台に対し鎮圧を指示します。

熊本鎮台とは、熊本城を拠点とする陸軍の基地で、多数の兵隊が駐屯していて、そこから佐賀へ出動しました。

大久保さんの考えは、徴兵によって組織された庶民の軍隊が旧士族の軍勢に勝利する事ができれば旧士族に『もう、キミ達は必要ないでしょ』ってアピールできるからですね。

戦いの途中、江藤新平は佐賀を抜け出して薩摩へ行き、西郷隆盛にも挙兵を促しましたが、あっさり断られ、逮捕されたのち斬首されました。

江藤新平という人は頭脳明晰で弁の立ついわゆるキレ者で、新政府における法制度の確立を行なう司法卿、つまり法務大臣でした。高知で逮捕されたわけですが、写真による指名手配制度は彼が制定したもので、結局、自分が張った網に自分で掛かってしまった悲劇の人でした 

佐賀の乱鎮圧に自信をつけたのか、今度は政府が明治8(1875)年9月20日、朝鮮でひと悶着起こします。

江華島事件です。

江華島は現在、韓国の仁川国際空港の南の方にある島で、当時、この島の近くを日本の軍艦がうろちょろして、あまりの挑発に頭にきた島の砲台との間で砲撃戦になり、朝鮮国と紛争になりました。

何だかんだと言い掛かりをつけて、『それじゃあ、戦争する?』と脅して、翌年、朝鮮国との間に日朝修好条約を結びました。内容は、以前欧米列強と結んだ内容と同じ不平等なもので、幕末日本が欧米列強にやられたその同じことを朝鮮国に行ないました。

この政府の行動に征韓派は『お前ら、反対していたじゃあないか!オレ達を追い出す口実だったのか!』と憤慨し、保守派も更に不信を強め、この後、国内各地で乱が起こるのでした。

さあ、お仕事始めましょうか。


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