つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言 ㊼
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言㊼です★
西南戦争①
乃木少佐軍旗紛失事件
明治45年、天皇崩御と共に乃木希典さんが殉死しました。
理由は日露戦争で旅順要塞攻略の第3軍司令官に任じられた際、6万人にも及ぶ死傷者を出した事と、西南戦争において軍旗を紛失した責任を感じてです。遺書にもはっきりと書かれています。
『軍旗』と言ってもあまり馴染みはないのですが、学校の校旗とか甲子園の優勝旗みたいなもので、竿に紫色のフサの着いた旭日旗が架かっていて、竿の先端には金色の菊の御紋が飾られています。
これは天皇から各連隊に親授されたもので、連隊結束の要、精神的シンボルですね。
この旗を紛失、いや敵に奪われた帝国陸軍唯一の指揮官が乃木さんだったワケです。
明治10年(1877)2月15日に鹿児島を発った薩軍15000名は、22日に熊本城を包囲、攻撃を開始します。
これを救援すべく小倉第十四連隊を指揮して乃木さんは熊本へ急行。それを知った薩軍600名ほどと現在の熊本市北区植木町のあたりで戦闘になりました。
乃木少佐率いる200名ほどは田原坂までは進出しましたが、多勢に無勢、押し返されて退却します。
そして民家を借り受け、司令部にして援軍を待っていたのですが、銃器の性能の劣る薩軍は夜になると斬り込みを仕掛けてきます。闇に乗じて奇声と共に襲ってくる示現流の勢い凄まじく、農民出身の兵達はこの攻撃を受けると銃など放り出して逃げ出したそうです。
その夜襲を受けた戦闘の際に軍旗を紛失してしまうのです。
薩軍はこの奪った軍旗を熊本城に籠もる政府軍向けてヒラヒラさせてからかったそうです
すると、『あれは、本物か?』『どこの連隊が捕られたのだ!』『どうやら乃木の連隊らしい』と大問題になりました。乃木さんは何度か自殺をはかったそうで、その後は前線での指揮を交替させられています。
山県有朋も『まあ、外国に捕られたってワケじゃあないし』と不問にし、その後も新聞や錦絵などで、結局捕り返したけれど、捕り返した将校も斬られたので、一緒にお墓に埋めちゃった、などと盛んに宣伝しました。
結局軍旗は戦争後小倉第十四連隊に再下賜されたのですが、その三日後に鹿児島で奪われた軍旗が発見されました。再下賜される前だったら、ちゃんと捕り返したのだと胸を張って言えたのに、乃木さんもツイてないですね。
ただ、明治も四十年代になった頃、当時薩軍として戦闘に参加し、後に国会議員になった高田 露(たかだ あきら)と言う人が、植木での戦闘の際、自分が司令部と思われる民家に突入すると、床の間に軍旗が立てかけてあったという証言が出たりもしました。
真相は謎のままですが、ひょっとすると、薩軍の斬り込みに驚いて軍旗をほったらかしにして一目散に逃げ出したというのが事件の真相なのかもしれませんね。
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