つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㊽

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

歴史好きの独り言㊽です★

西南戦争②

薩軍の敗走

3月4日から始まった田原坂の戦いでしたが、3月20日には政府軍の総攻撃によって戦線が崩壊し、薩軍は退却を開始します。

1日に30万発の弾丸を打ち合ったのですが、14日間の戦闘のうち雨の日が6日間あり、旧式銃を使用する薩軍は苦戦します。旧式銃は銃身に直接火薬を詰めるので、雨に濡れては撃てないのです。 

そこで薩軍は刀による斬り込みに戦術を変更しました。

この戦術は効果がありました。なぜなら政府軍はいわゆる『庶民の軍隊』で、射撃はできても刀には対抗することができません。

そこで、政府軍は元士族が多い警官に『抜刀隊』を編成させました。

これら抜刀隊には鹿児島や会津の出身者が多く、特に会津の出身者達は『戊辰戦争の恨み』だと息巻き、鹿児島出身の警官は同郷の友人や知人に対して刃を向けることになったのです。

こういうことからも『新政府軍』対『薩摩士族』の戦争と言うより、『薩摩』対『薩摩』の戦争であるとも言えます。

田原坂での消耗戦の後、薩軍は次第にその勢いが弱まりました。数で勝る政府軍の鹿児島占領や熊本南部沿岸からの上陸によって補給路を断たれたことで薩軍は熊本城包囲を解き、木山、人吉へと敗走が始まります。

九州山地の奥深い山々を薩軍は彷徨し、追いすがる政府軍と戦闘を繰り返しました。

このような状況下でも西郷さんは一度も戦闘の指揮を執りませんでした。 

『西郷隆盛、ジャコかイワシか。鯛(隊)に追われて逃げていく』

『西郷隆盛、神か仏か。姿見せずにいくさする』

などと、政府軍から揶揄されていました。

そんな西郷さんでしたが、延岡北部の『和田峠』というところで最後の決戦を挑んだ際、この戦争において一度だけ指揮を執りました。

ここでも政府軍は圧倒的な兵力と火力で薩軍を苦しめます。

そんな状況下、村田新八は西郷さんにむかって、

『こうして見ると徴兵された軍隊もなかなか強いですなあ。これなら将来、もし外国と戦争になっても心配はいりませんね』

と言い、それを聞いた西郷さんも嬉しそうに頷いたと言います。

しかし、西郷さんの指揮もむなしくこの戦いにおいても薩軍は敗北し、ここで軍を解散します。

軍を解散するとは、降伏するなり、どこかへ逃げるなり好きにしていいよ、ってことです。

そして、西郷さんを中心に残りの薩軍は故郷鹿児島をめざし、深い山の中へ再び消えていきました。

さあ、お仕事始めましょうか。

 


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