つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言 第51回

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

歴史好きの独り言 第51回です★

八甲田山雪中行軍遭難事件②

青森5連隊の行軍が山深くなるにつれ次第に天候が悪化急変し、吹雪になり風速は20メートルを超え、気温は零下20度に下がります。

目的地への道もわからず、20時15分露営を行ないます。

露営といっても数十人単位で雪原を掘り、屋根も無い大きな穴に寄り添って立っていた、というのが実情で、あまりに雪が深く地面には届かなかったので、火をおこしてもすぐに消え、食事も作れない有様です。

そこで、深夜2時半に行軍を中止して青森まで帰営することにして雪濠を出てしまいます。

吹雪は一向に収まらず風速も増して、雪濠を出たあたりから凍死者が続出します。それでもとにかく歩き続けましたが、1月24日の未明に出発し、帰りの道さえも発見できず夜になって再び雪濠を掘った場所は、なんと未明に出発した雪濠から直線距離にして僅か700メートル、普段なら徒歩で10分間の距離を14時間半かけて歩いていたのでした。 

1月25日の朝になって再び出発しましたが、軍隊としての統率ができなくなり、それぞれ自分の力で生き延びるようにと指示が出て、軍を解散しました。

この時、映画でも有名になった『天は我々を見放した』と指揮官の神成大尉が発し、それを聞いた兵卒達は希望を失って更に倒れていったと言います。

また、この惨状を伝えるだけの通信設備など当時はまったく無く、帰営の日時を過ぎても戻らないということで初めて遭難に気付き、捜索隊の現場到着も1月27日になってからというものでした。

結局、青森5連隊210名中199名が死亡するという未曾有の山岳遭難事故になりました。

生存者11名中、五体満足であったのは倉石大尉、伊藤中尉、長谷川特務曹長、及川一等卒の4名でしたが、後の日露戦争に於いて及川一等卒を除いて3名は戦死しています

この話は映画や小説にもなり大ヒットしましたが、真実はもっと残酷で、例えば31連隊の福島大尉、映画では高倉 健さんが演じていて、案内人にも敬意を表しているように描かれていましたが、実際は嫌がる案内人を叱り付けるなど無茶な扱いをした挙句、軍は凍傷になった案内人に見舞金すら支払わなかったそうです。

その弘前31連隊は一人の死者も出さず、最終目的地の青森駅に到着し、弘前まで汽車で帰営しました。1月29日のことでした。

無事に弘前へ帰営した福島大尉でしたが、3年後の明治38年1月同日、黒溝台での戦闘に於いて極寒の中ロシア軍と戦い、戦死されました。

明暗を分けたとはいえ、雪中行軍で生死をかけて彷徨した挙句、無事に生還できたのに、後の戦争で命を落としたという事実が一層事態を暗いものにしていますね。

さあ、お仕事始めましょうか。


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