つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言第52回
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言 52回です★
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世界地図に一箇所だけ日本人の名前が記された場所があります。ユーラシア大陸と樺太の間、間宮海峡です。
今から200年ほど前、地球上で北極と南極を除いて不明な場所がありました。それは樺太が島なのか、それともユーラシア半島から突き出た半島なのかということです。
そんな未知の領域を探検して、樺太が島であることを世界で最初に発見した人が、農民出身の幕府の役人で探検家でもあった間宮林蔵(まみや・りんぞう)という人でした。
伊能忠敬が作成した日本地図は有名ですが、北海道以北を測量したのは間宮林蔵のグループです。つまりは合作ということですね。
北海道にあった松前藩がいわゆる蝦夷地、樺太、千島列島にたいしての経営を始めたのが1790年頃で、ある意味、ロシアの南下に対抗してのものでした。
幕府、ロシアともどんどん人を送り始め、幕府はロシアの脅威が本格的なものになる前に、樺太への勢力拡大のため間宮林蔵を長とした探検隊を編制し、調査を進めていきました。
その間にも両国間で人を送り続けましたが、争い事が多発していました。
1844年に間宮林蔵は亡くなりますが、1855年日露和親条約によって択捉島以南が日本領と認められ、国境が確定しました。
つまり、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島はその時、正式に日本の領土となったわけですね。
ただ、樺太だけは国境が確定されず、日本人、ロシア人、アイヌの人達が混在したままで、争い事が絶えずにいました。
明治新政府が誕生の後もこの問題は続いていて、樺太に国境を引けとか択捉島以北の千島列島と樺太を交換し、まず北海道開拓に力を入れるべきという意見に分かれていましたが、征韓派が下野し退陣したので、『樺太を手に入れろ!』派が小数になり、代わって『交換しろ!』派の意見が主流になりました。
そして、明治8年(1875)5月にロシアとの間に『樺太・千島交換条約』が結ばれ、択捉島より先の得撫(うるっぷ)島からカムチャッカ半島より手前の占守(しゅむしゅ)島といういわゆる『千島列島』が日本領になりました。
現在、日露間に平和条約締結を巡って『北方領土』の問題がクローズアップされています。
締結の際には、色丹島と歯舞群島を日本へ返還するという取り決めになっているようですが、果たしてどうなることなのでしょう。
難しい問題の出発点は実は200年ほど前からあったということは事実のようです。
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