つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言第61回
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言第61回です★
『F』の行方②
F35とかF22などの『F』とはファイターを意味している。
日本にもかつて『零式艦上戦闘機(通称:ゼロ戦)』というファイターがあった。
何やら世界最強、無敵の戦闘機だったように語り継がれているが、果たしてそうなのだろうか?
日米開戦前、日本はアメリカから航空機技術を買っていて、派遣されてきたアメリカ人技師は工作機械の並べ方まで教えたそうである。
当時、日本では何とか1000馬力級のエンジンを開発可能な状態だったが、アメリカでは次世代の2000馬力級エンジンを既に製造していた。
つまり、日本のエンジン技術は周回遅れで、アメリカは仮想敵国に一世代前の技術を売っても痛くも痒くもなかったってことだ。
ところが、アメリカは軍縮や次世代2000馬力級戦闘機の採用に手間取っていた時に日米開戦になってしまい、周回遅れではあったけれど、日本が作った1000馬力級では最新鋭の『零戦』と零戦より少し古い1000馬力級戦闘機『F4F ワイルドキャット』との戦いになったワケです。
そうなると開戦前から中国空軍相手に実戦経験を積んだ日本のパイロットに一日の長があり、機体の性能も相まってしばらくの間有利に戦うことができました。
そこでアメリカは何とか零戦の機体を入手してその性能を知りたいと考えます。
そんな時、アリューシャン列島に不時着している零戦を発見、これを持ち帰って飛行可能なまでに修理修復して徹底的に調べ、弱点を探り出して戦闘に生かしました。
零戦はエンジンが非力なので機体が軽く、急降下ができないといった最大の弱点も暴かれて、F4Fとの空戦も次第に押され気味になりました。
そして、アメリカは2000馬力級の新型戦闘機『F6F ヘルキャット』を始め、新型機を次々に登場させ、数と性能において零戦を圧倒します。
ここで間違って伝承されているのが、零戦を研究してF6Fを作った~云々、と言われていますが、F6Fの試作機は真珠湾攻撃の翌日にテストフライトしており、零戦の機体入手より半年前です。
その後アメリカは、日本が『スーパー零戦』を送り出してくることを見越して『F8F ベアキャット』という戦闘機を開発します。
これこそジェット戦闘機以前のプロペラで飛ぶ艦上戦闘機の最高峰で、零戦より小さな機体に2100馬力エンジンを載せ、スピード、旋回性能、武装のどれをとっても完全に凌駕したものでした。
周回遅れだった日本はF6Fに対抗するためやっと2000馬力級の戦闘機を作りましたが質、量ともに劣り戦局の挽回はできませんでした。
零戦の設計や空戦思想を継承し、パワーアップさせたものが結局、艦上戦闘機の最高傑作機だったというのは何とも皮肉な話です。
そんな理由もあって、アメリカはF35の機体の行方が気になって仕方がないのです。
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