つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言 第62回 僕らはお友達?
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歴史好きの独り言 第62回 僕らはお友達?です★
高杉晋作という人がいた。
奇兵隊を率いて藩内を統一し、押し寄せた幕府軍を蹴散らし、小倉まで攻め込んで来て、小倉城から太鼓とか石燈籠をかっぱらっていった人だ。
ずいぶんと怖そうだが、長州軍が小倉城下を一時占拠した際、乱暴狼藉は一切なかった。
高杉さんの統率力の賜物なのでしょうね。
そんな高杉さん、気前も良かったらしく、坂本龍馬に上海土産のピストル2丁のうち1丁を気前よく進呈したそうな。
ということは、ずいぶんと仲良しなのだろうと思われがちなのだが、実はこの二人、対面したという記録は一切ない。
そもそも高杉晋作という人、武士で家禄も200石ほどあり、しかも今でいう『お坊ちゃん』であったから、エリート意識が非常に高い。
身分に関係のない奇兵隊を組織していながら『俺とお前らでは身分が違う』的な人物だったし、『他藩の人間なんて信用できるもんか』的な人でもあったから、土佐藩で、ましてや下士出身の龍馬とはそもそもウマが合うはずがない。
現に農民出身で奇兵隊を事実上まとめている山縣有朋との関係も『身分』を意識し過ぎてギクシャクしていた。
そんなワケだから、よくTVドラマであるようなシーン、例えば一緒に酒を飲み、手を取り合って『新しい日本のために一緒に頑張っていこうね』なーんていうことはなかった。
それでも龍馬が桂小五郎宛に送った書簡には『寺田屋事件』のくだりがあって、『かの高杉より送られ候ピストールをもって打ち払い~』の記述がみられる。
ただ、僕としてもこの文面、なんとなく『かの高杉』の辺りになんとなく距離を感じるのですが気のせいですかね。
面識があるのなら『かの』っていうのは付けないんじゃあないかなあ?
したがってピストルの一件は、当時パシリだった伊藤俊輔(のちの伊藤博文)が、長州藩のために武器を調達してくれる坂本という男がいますが・・・・、みたいな話をしたら、『じゃあ、せいぜい命を大切にするように伝えておいてくれ』と伊藤さんに龍馬へのピストルを託したってところじゃないかなぁって思います。
慶應3年4月14日、高杉さんは亡くなります。享年29。27年と8ヵ月の短い人生でした。
この頃、坂本龍馬は妻のお龍と一緒に下関で暮らしています。
現在の住所に置き換えると下関市阿弥陀寺町5-7で、高杉さんの終焉の地は下関市新地町3番です。
にも拘らず、高杉さんの臨終の際に坂本龍馬が立ち会ったという話も聞いたことはありません。
現在、関門海峡下関側、海沿いに『はい!からっと横丁』という遊園地があり、その横に2本の刀が刃を合わせるようにした『青春交響の塔』という石柱が建っていて、2人の友情を表しているのだそうです。
石柱には2人の顔のレリーフが刻まれていますが、どことなく余所余所(よそよそ)しく見えるのは、ある意味当然なのです。
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