つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言 第65回 貧乏が国家を救う②

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

歴史好きの独り言 第65回 貧乏が国家を救う②です★

秋山家からお寺にやられそうになった末っ子、真之(さねゆき 幼名:淳五郎)は10歳上の兄である信三郎(秋山好古)が教師になったり、軍人に転職して僅かな給料を仕送りしてくれたおかげで城下一の悪ガキとしてのびのびと成長しました。 

正岡子規が同級生ということもあって当初は文学に傾倒したらしい。

ちなにみに子規とは『ホトトギス(不如帰)』の意味であり、『鳴いて血を吐く』と言われたから、病を患った自身の姿と重ねて俳号としたようです。

話は逸れましたが、子規が進学のため東京へ出ることになり、仲良しだった真之も一緒に上京しました。

真之の下宿先は兄、秋山好古の住まいに居候させてもらっていました。

正岡子規のように東京帝国大学文学部に入って、とまあ考えていたそうだが、学費を兄に頼っていたせいもあって、やはりタダの海軍兵学校へ入学した。

それが日本の危機を救った。

海軍一の秀才と言われた彼は、日露戦争時、連合艦隊の参謀になり、司令長官の東郷平八郎を補佐し、明治38年5月27日、日本海海戦において彼の発案した『丁字戦法』によって、ロシアバルチック艦隊を撃破し、戦争を勝利に導いたワケです。

海戦当日早朝、バルチック艦隊を発見した連合艦隊は海戦を実施する旨を東京の大本営宛に電報を打電しましたが、この時の電文を書いたのは秋山真之でした。 

『敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出撃、これを撃滅せんとす。本日、天気晴朗なれども波高し』

起承転結のお手本のような文章で、僕は文章を書く時、いつも頭の中で繰り返します。

ただ、この電文を受け取った山本権兵衛海軍大臣は『秋山のヤツ、ロクな事をしない』と

少々ご機嫌斜めだったようです。

まあ、艦隊のオーナーである、と言っても真のオーナーは国民ですけれども、山本さんにしてみれば何とか勝てるように揃えているのに、実務者にあんな『美文』を書かれては腹が立ったのかもしれませんね。

これから国の運命をかけた海戦が始まろうとしているのに、お前の頭の中はそんな文章考える余裕があるっていうのか、ってところでしょうかね。

文章だけ見ると、すごい才能だなあって感心してしまうんですけど、とんだ藪蛇でしたね。

でも、この美文のおかげでこの海戦の勝利がよりドラマティックなものになりました。

彼が貧乏故に海軍に進んでくれたおかげで、日本はロシアの植民地にならずに済みました。

輸出できる物といえば米と茶と絹くらいしかなかった維新後の日本が貧乏しながら陸海軍を整備し、何とか独立を維持した姿がそのまま秋山家の兄弟の人生に重なって見えるのは僕だけではないでしょう。

秋山真之が日露戦争後『連合艦隊解散の辞』の最後に綴った一文をもって、この回を終わりにします。

『故人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と』

さあ、お仕事始めましょうか。


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