つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言 第66回 中津も好き好き①
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つれづれなるままに~日々是好日
歴史好きの独り言
第66回 中津も好き好き①
豊臣秀吉の九州平定の後、豊前の国は黒田官兵衛が治めた。
黒田官兵衛とは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、稀代の軍師と言われる。
軍師とは、軍隊における『参謀』ことで、戦争の際に作戦を立案するのがお仕事だ。
で、この軍師、どうやら『水』がお好きなようで、備中高松城を攻めた時も『水攻め』にした。
高松城は低地の湿地帯に在って、兵も馬もぬかるみに足をとられ思うように攻め込めないので、それを逆手にとって川の堤を切り、土塁で囲んで水没させ、援軍も兵糧も届かないようにして落とした。
そんなわけだから、山国川と周防灘の『水』を利用して堀割りを行い『中津城』を築いた。
ちなみに、周防灘でも豊前国に属する部分を昔は『豊前海』と呼んでいたそうな。
後の話になるが、筑前国を治めることになると『福岡城』を築いたが、その城にも大きな堀を掘った。
その名残が『大濠公園』で、当時は今よりもさらに大きくて、東の端っこは現在の『天神地下街』の辺りまであった。
天神地下街の7番街から8番街にかけて『石積みの広場』というのがありますが、当時は『肥前堀』と呼ばれていたあたりで、それを意識してのものです。
ちなみに、名前の由来は黒田官兵衛のお願いを聞いて『佐賀藩』が手伝ってくれたからだそうです。
このお堀、明治になって埋め立てられたそうですが、もう一つ付け加えると、現在の福岡市役所の南側半分は肥前堀の上に立っています。
そして、水好きの行き着くところは隠居後『如水』(じょすい:水の如しの意)と名乗りました。
そんなこんなで『中津城』ですが、本当は実際の姿ではありません。
明確な資料は存在せず、どこかの大学の教授先生が、当時のお城っていうのは大体こんな様式で作られているので『まあこんなところじゃないかな』という感じで設計図を描かれたものです。
ちなみに『小倉城』もこの先生が設計図を描かれたそうでして、実際の姿とはやはり違うのだそうです。
この中津城、以前は個人が所有していて、売りに出されたことがありました。
3億円とか2億円だったと思います。
高いのか安いのかよくわかりませんが、思い切って買ってみるのもいいかもしれません。
入場料でひと儲けっていうのもアリです。
2億円で買収して、仮に大人一人400円取ったとして、50万人でチャラです。年間に6万人ほどが訪れているそうなので、意外と早くペイできるかも。
なーんて安易に考えていると、きっと『水泡に帰す』ってことになるんでしょうね。
このオチまでもっていきたくて、タラタラと書いてしまいました。
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