つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言第72回
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言 第72回です★
『日の丸の話』①
日本の国旗と言えば『日の丸』だが、正式に制定されたのは平成11年(1999)である。
それまでは正式じゃあなかったってこと?
正しくは『日章旗』という。
農耕民族にとって太陽は『神様』だから白地に赤丸ってことらしい。
実は、平安時代までは赤字に金丸が主流で、現在の配色になったのは『源平合戦』からだと言われている。
つまり、平家は赤字に金丸、源氏が白地に赤丸で、源氏が勝ったかららしい。
もし、平家が勝利していたら、今よりも随分とド派手なものになっていたかもしれませんね。
ちなみに、運動会で『紅白』に分かれるようになったのは、明治の海軍兵学校からで、演目に源平合戦に由来するものがあったから。
国籍を表すものとして使用されだしたのは江戸時代末期からで、船舶用の国籍標識として使用され、発案者は薩摩の島津斉彬で、幕府に自らが献上した蒸気船『昇平丸』に掲げられた。
世界デビューの後、そのシンプルで美しいデザインが評判になり、フランスから『ぜひ売ってくれ』と相当な金額でオファーがあったが『国を売り渡すようで嫌だ』ということで、現在に至っています。
現在に至るまでの日の丸の流れを簡単に書いてきましたが、日の丸が原因である重大な出来事がありました。
太平洋戦争中の出来事です。
昭和17年(1942)6月5日、ミッドウェー海戦での話しです。
詳細は書きませんが、前年に真珠湾を攻撃した際、空母を打ち漏らしてしまったのです。早い話、攻撃したのはいいけれど、出航していて湾内にいなかったのです。
その際、もう一撃していれば戻ってきたところを撃沈できたのですが、自らの損害を恐れたため足早に引き返してしまいました。
それが結局アダとなって、昭和17年4月18日アメリカ空母により東京が初空襲を受け、日本海軍は何とか敵空母を撃滅できないか作戦を考えます。
それがミッドウェー作戦で、太平洋の真ん中にあるアメリカ領ミッドウェー島を攻撃すれば敵空母が出てきて、それを一網打尽に沈めてしまおうと考えます。
その頃の日本空母部隊は最強で、アメリカの空母なんてイチコロさくらいの認識でした。
ところが、この作戦は日本海軍の暗号が完全に敵に解読されたため、いざ海戦が始まると攻撃がすべてアメリカ海軍の後手にまわり、状況は次第に不利になりました。
アメリカの攻撃隊が日本空母部隊の上空にやってきた際、搭乗員たち全員が驚きました。
何故なら、日本の空母の飛行甲板に大きな『日の丸』描かれていたのです。
急降下爆撃の照準はもってこいで『ココに照準を合わせてくださいね』と言っているようなものです。
結局、その『日の丸』が絶好の標的となり、日本の4隻の空母すべてが急降下爆撃による爆弾で撃沈されてしまいました。
国運を賭けた重大な海戦での敗北の理由のひとつが『日の丸』だったとは何とも皮肉な話ですね。
なぜ、大きくて目立つ日の丸をわざわざ飛行甲板に描いたのか?
じつは、理由があったのです。
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