つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言 第73回
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言 第73回です★
『日の丸の話』②
ミッドウェー海戦で日本海軍空母陣が壊滅するひと月ほど前、オーストラリア北東部、珊瑚海で日米海軍が海戦を行いました。
『サンゴ海海戦』と言います。
この海戦は、史上初の『空母対空母』の海戦でした。
空母戦というのは、お互い相手の艦隊を見ることなく、300kmほど離れて行われます。
そこで重要になるのが索敵(相手の艦隊を探すこと)で、索敵機を何機か飛ばして相手の艦隊を探すことから始めます。
昭和17年(1942)5月7日、両軍とも早朝より索敵機を飛ばし、ほぼ同時に敵艦隊を発見しましたが、ミスを犯してしまいます。
日本軍はタンカーを空母と見間違え、アメリカ軍は日本軍本隊ではなく、別の小部隊を本隊と勘違いして全力で攻撃隊を発艦させました。
発見後、どちらもミスに気付きましたが、引き返すことなく攻撃をかけ、日本軍はタンカーをアメリカ軍は小型の空母一隻を撃沈しました。
補助的で小型とはいえ『空母』を沈められた日本側に焦りは隠せず、司令部は苛立ちました。
日没も迫った頃、日本の索敵機が再び敵空母を発見します。
そこで『翔鶴(しょうかく)』と『瑞鶴(ずいかく)』という空母から攻撃隊を発進させるのですが、戦闘機の護衛を付けていません。
何故なら、戦闘機は一人乗りで、急降下爆撃機や雷撃機のようにナビゲーターがおらず、帰艦が予想される夜間は飛行ができないからです。
無理を承知で発艦した攻撃隊でしたが、索敵機からの報告の海域に目指す敵空母はおらず、帰艦しようとしたその時、アメリカ空母の戦闘機隊からの襲撃を受けます。
その頃すでにアメリカは『レーダー』を装備しており、日本の攻撃隊をキャッチして迎撃したわけです。
日本の攻撃隊は重い爆弾や魚雷を捨て身軽になりバラバラになって逃げ去りました。
そして、闇夜の中やっとことで空母を見つけ、いざ着艦しようと降下したところどこか様子がおかしく、いきなり対空砲火を撃ち上げられました。
実は味方だと思って着艦しようとしていた空母は『レキシントン』と『ヨークタウン』というアメリカの空母で、危うく着艦してしまうところだったのです。
この時、アメリカ空母艦内では『敵の斬り込みに備えよ』という海賊時代さながらの放送があったそうです。
知らず知らずのうちに両軍の間隔は100km程度、飛行機で20分の距離だったわけです。
そんなことがあったので、次の海戦で攻撃隊が間違えないように日本の空母の飛行甲板の前方に大きな『日の丸』を描いたのです。
ちなみにアメリカの空母は船体も含め、飛行甲板は深いブルーで塗られていました。
発見されにくく照準も合わせにくいのですが、アメリカのパイロットにしてみれば、さぞ着艦が困難であったと思われます。
パイロットのために目立つ『日の丸』を描き、間違えることのないよう温情をかけたのですが、ミッドウェー海戦におけるもう一つの『温情』が更なる敗北の敗因となったのですが、それはまた別の機会に。
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