つれづれなるままに~日々是好日 歴史が大好き!
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史が大好き!
お殿様は『こまったちゃん』
元禄14年(1701)3月14日、午前11時頃、江戸城内『松の廊下』において殺人未遂事件が起こる。
犯人は、浅野内匠頭。
被害者は吉良上野介。
この時、江戸城では京都から天皇の『勅使』が新年のあいさつに来ていて、それをせっせとオ、モ、テ、ナ、シ、『おもてなし』していたワケだ。
そのおもてなし担当の一人が浅野内匠頭で、こういう具合に接待するんだよと、作法を教えてあげる係が吉良上野介だったってこと。
そんなこんなで、『おもてなし』が始まるんだけど、ここからが物語の始まり。
吉良さんがなかなか素直に作法を教えてくれない。
屏風絵が墨一色だけでは華やかさが無いとか、200畳ほどの畳を全て張り替えろとか、いろいろと浅野さんに難癖をつけてくる。
浅野さんはこれら全てに対応して何とか乗り越えるんだけど、そこがまた吉良さんの勘に触る。
イジメの原因は吉良さんへの付け届けが足らない。即ち、教えてもらうんだからいくらか包んで持って来いよってこと。
それが無いから頭に来てる。もう一人の接待係はたっぷり包んで来たぞって。
でもまあ、よく考えてみれば、浅野さん、このお役目を仰せつかったのは2回目。
その前は17歳の時だったから、ぜんぜん解りませんって事じゃあない。
で、松の廊下で斬りかかったんだけど、理由ははっきりしていない。
ワイロが少なかったとか、浅野藩の特産品の『塩』の製法を教えなかったとか、浅野さんの奥さんに横恋慕していたとか、いろいろあるようだ。
『この前の恨みだっ、忘れたとは言わさないぞ』って浅野さんが言ったそうだから何かがあったんだろうけど、もう少し『大人の分別』っていうものがあっても良かったんじゃあないの。
史実としては、浅野内匠頭のお母さんの弟が以前、増上寺でいきなり他人に斬りかかったってことがあったので、何かの発作じゃないの、とも言われている。
徳川将軍家にしてみれば、『また、浅野か』ということもあってか、即日切腹ということになった。
これが後々問題となって討ち入りに至る。
この頃、武士の間では『喧嘩両成敗』と言って、どっちも悪いってことで両方が処罰の対象になるんだけど、吉良さんにはお咎めがない。
それに、内匠頭が追い出された門は江戸城『平川門』で、この門は不浄の門とも言われ、死者とか罪人とかを出すことに使われる門だったし、また切腹の場所もお城近くの大名の家で、しかも『庭先』だった。普通、大名の切腹ってことになると、座敷で行う。
この事件の第一報が赤穂に届いたのが4日後、普通江戸から赤穂まで7日はかかるそうだからずいぶんと飛ばしたもんだね。
その知らせに大石内蔵助をはじめ赤穂藩士が、驚きと悲しみとこの先のそれぞれの身の振り方に大揺れになっている頃、第二、第三の知らせが届き、事の次第が顕かになっていく。
その中に、浅野内匠頭の辞世の句もあった。
『風誘う 花よりもなお我はまた 春の名残を如何にとかせん』
午前中に事件を起こして、夕方に切腹した割にはずいぶんといいデキだなあ、とまあ感心するわけだけれど、ここから話はどんどん大きくなっていく。
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