つれづれなるままに~日々是好日 歴史が大好き!

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歴史好きの独り言です★

つれづれなるままに~日々是好日

歴史が大好き!

『おのおの方、討ち入りでござる』

元禄15年12月14日、赤穂浪士47名が江戸は本所松坂町の吉良邸に討ち入る。厳密にいうと、12月15日の未明だ。

赤穂浪士47名、今なら『AKO 47』と言ったところか。

『寺坂吉右衛門』という人が加わっていないとか、身分が低かったから討ち入り後に帰されたなんて言われているが、これも定かではない。

元禄時代というと、関ヶ原の戦いから100年ほど経っていて、時代というか文化の中心は『町人』の時代になっていて、いわゆる『太平の世の中』だから、『武士』の価値観やその存在すら意味を失いつつあった。

そんな時に起こったのが『松の廊下事件』で、その結果の『赤穂藩お取りつぶし』だった。

赤穂の浪人が復讐戦を演じるのではないかと江戸庶民の間では噂になっていたらしいが、この噂の出どころは赤穂浪士たち自らの行動からだろうと考える。

何故なら、現在ほどの人の動きがあるはずもないそんな江戸町内に、町人には見えない風情で関西訛りの人たちが急に住み始めたのだから、奉行所も町人も気付かぬわけがない。

そんなわけだから幕府にしても知らないハズはなく、裁きの不手際という負い目もあって、まあやらせてみるか、討ち入りを果たした後に全員で切腹してくれるだろう、くらいの考えだったと思うし、もしやるのならお城から離れた所でやってよね、ということで、吉良さんの住まいを江戸城から離れた当時は未開地だった隅田川の向こうに移転させている。

ところが、AKO47は討ち入り後、切腹しなかった。

その理由は、騒動の原因は幕府の初動捜査の不手際にあって、武士として主君の仇を討つのは当然のことであり、『喧嘩両成敗』を旨とする幕府の立場にあって、今回の一件についていかに処分するおつもりですかという、大石内蔵助の戦略だと何かの本で読んだ。

はたしてそうなのか?

大石さんは家老で、現在の価値に換算すると3千万円くらいの年収があって、まあ、貯金もあったろうから、浪人になっても生活には困らなかったはずで、討ち入りには積極的ではなかったんじゃないか。 

むしろ積極的だったのは浪士の中でも高齢者と身分のそう高くない若い人達だったハズだ。

だってそうだろう、そういう人たちは他藩への就職が難しいし、有利な条件での再就職なんて無理だろう。

だからAKO47には悪いけれど、討ち入りは再就職への手段だったんじゃないかと個人的には思っている。

現に各藩邸にお預かりの身になっている時、方々から『うちの藩へ来ませんか』と問い合わせが何件もあったと言うよ。

でも結局、全員切腹というご沙汰がくだって夢も希望も儚く消えてしまったけれど、まあ良かったんじゃないの、その名前は300年以上経っても残っているんだから。

さあ、お仕事始めましょうか。


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