日日是好日 『孝明天皇暗殺事件』
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幕末には数々の暗殺事件が起きており、一番有名なのが『坂本龍馬暗殺』で、いまだに『幕末最大のミステリー』などといった『枕詞』がついて犯人探しが続いている。
犯人は京都見廻組であり、明治になって実行犯の証言が残っているにも関わらず、薩摩だ長州だ、いや土佐だと論争が絶えない。
龍馬ファンには悪いけれど、彼の暗殺は歴史の転換点になるような大事件ではない。
大河ドラマではサラッと流していたが、孝明天皇の崩御の方が歴史の転換点という意味においてずっと大事件なのだ。
何故なら、天皇は討幕を望んではいなかった。
今回は、その辺を書いてみる。
皇女和宮を婚約者がいたにもかかわらず徳川家茂に嫁がせたのは、朝廷と幕府が結びついて『鎖国』を続け『攘夷』を行うためなのだ。これを公武合体という。
孝明天皇はとにかく外国嫌いで、外国との条約を許可する『勅許』を出さなかった。
勅許とは天皇による命令ことで、これが出なかったことに抗議して、1865年外国艦隊が大阪湾に集結して、ある意味脅迫した。
そこで渋々許可したが、西洋医学を禁止するなどして保守的な行動に出る。
これが孝明天皇の寿命を縮めることになった。天然痘に罹ったのだ。
歴史上の人物で、これに罹った人物というと、源頼朝、豊臣秀吉など大勢で、高杉晋作などはあばたの残った顔で写真に納まっている。
孝明天皇の場合、回復の兆しが見えたのだが、突然容態が急変する。
当時の担当医の記録によると、体中九つの穴から血が噴き出したそうで、これはヒ素中毒の症状なのだ。
そこで、これは何者かのヒ素による暗殺ではないかという疑いが出る。
首謀者は岩倉具視で、女官に命じて密かに毒を盛ったというものだ。大久保利通も一枚噛んでいるらしい。
後に岩倉毒殺説の論文なども出たが、天皇が国家元首となり皇室問題などはタブー視されるようになり、いつの間にか忘れ去られた。
もし、もう少しご存命であれば、徳川幕府は形を変え存続した可能性もあっただけに疑ってみたくもなる。
岩倉自身も後に、あの頃は表に出せないことがたくさんあったんだ、みたいなことを明治になって述べている。
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