日日是好日 志賀直哉 『小僧の神様』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
ある秤(はかり)屋に仙吉という奉公人の『小僧』がいた。
ある日、店の先輩店員たちが『あそこの寿司はウマい』と話しているのを聞き、『いつか食べてみたい』と思うようになった。
店の仕事で配達に出掛け、帰りは電車に乗らず、浮かせた電車賃4銭で寿司を食べようと試みる。
店に入り寿司に手を伸ばしたその時、店主から『ひとつ6銭だよ』と言われ、お金が足りず恥ずかしくなって店から飛び出す。
その様子を店内にいた貴族院議員の『A』が見ていた。
ある日、Aが自分の子供の体重計を買うため秤屋に入るとあの時の小僧が働いているのを目にする。
Aは買った品物を自宅まで小僧に運ぶよう頼み、店から連れ出して寿司をご馳走した。
配達後、小僧は『あの人は一体何だったのだろう』と考え、『ひょっとしたら、神様かも知れない』と思い、いつかまた自分の前に現れてくれるに違いないと思う。
しかし、Aは何か悪いことをしたような淋しい気持ちになった。
この後、作者からの一文があって作品は終わりです。その一文が大きな意味を読者に与えるわけなのですが・・・・。
文庫本でページ数12,3ページの非常に短い作品です。それだけに考えさせられることが膨らみます。
中国のことわざに『魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えろ』というのがあります。
上から目線の哀れみは一時の慰めであって、小僧の将来にとって役に立たないのではないか。
人に対する『親切』とか『施(ほどこ)し』とはどういうことなのだろうと考えてしまいます。
志賀直哉は『白樺派』の作家です。
学習院大学出身者が中心となって『白樺』という同人誌を自費で出版していました。
学習院ということもありお金持ちが多く、そのことに後ろめたさを感じており、貧富の差が大きかった大正時代において平等な社会を望んでいました。
『小僧の神様』発表後、志賀直哉は『小説の神様』と言われるようになりました。
後に太宰治はこの小説について、貧しい者への残酷さに気付いているのか、何が神様だ、まるで新興成金じゃないか、とボロクソに書いています。
ちなみに、『小僧寿し』という寿司のチェーン店がありますが、『小僧の神様』が店名の由来です。
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