日日是好日 『坂本龍馬暗殺』
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坂本龍馬が32年の生涯を閉じたのは、慶應3年11月15日である。
奇しくもこの日は龍馬33歳の誕生日であったとまことしやかに語られているが、正確な誕生日の記録は確認されていない。
現在の暦に直すと12月10日の夜ということになる。
惨殺される理由はいくつかあるが、最も有力なのが慶應2年1月23日(これも現在の暦に直すと3月9日)に起きた『寺田屋事件』における龍馬による幕府の捕り方殺傷事件である。
薩長同盟締結後、龍馬の潜伏先であった薩摩藩の定宿『寺田屋』が伏見奉行所の捕り方に包囲され、龍馬と妻のお龍、長州の三吉慎蔵ら3名は逃走の際、捕り方2名を殺害し数名を負傷させている。
つまり、京都市内で薩長同盟が締結された前後からずっと龍馬は幕府にマークされていて、伏見で踏み込まれたということだ。
この時の有名なエピソードとして、お龍が入浴中に外の気配を察し、全裸のまま階段を駆け上がり龍馬に知らせたことになっているが、これは後に創作れたものだと思う。
つまり、龍馬は今でいう指名手配犯であった。
その後、龍馬は京都市中へ移り、三条河原町の材木商『酢屋(すや)』に潜伏していた。
この間、龍馬はお龍と共に薩摩を訪れ、『日本最初の新婚旅行』を行ったとされているが、これも日本最初という確証は何処にもない。
慶應3年10月になって、伊藤甲子太郎や藤堂平助からの見廻り組や新撰組が命を狙っているという情報により、四条河原町の『近江屋』に龍馬は潜伏先を変え、11月15日を迎えたのである。
当初、実行者は不明であったが、函館戦争が終了し、捕虜から聞き取りをするうち今井信郎という元見廻り組だった男から、坂本龍馬殺害の証言を得た。
実行犯は今井信郎を含む佐々木只三郎ら7名の見廻り組で、見廻り組とは幕府が組織した京都における警察組織であり、トップは京都守護職を任じられた会津藩藩主松平容保である。
したがって、犯行は見廻り組、指示を出したのが松平容保ということになり、犯人も黒幕もはっきりしていて『幕末最大のミステリー』でも何でもない。
と、以上が定説なのだが、坂本龍馬という人があまりにデフォルメされたため様々な説があり、中にはターゲットは中岡慎太郎で龍馬はたまたまそこに居合わせたという説まであるようだが、殺された本人にしてみればそれらは大した問題ではないと思う。
今日あたり四条河原町の歩道脇の石碑に花を手向け、静かに手を合わせる歴史ファンが訪れているに違いない。
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