つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言⑱
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言⑱ です★
下関条約①
下関が隠れた歴史の宝庫であることは前にも述べましたが、ここの地名が付いた条約があるのです。下関条約です。馬関条約とも言いますが、正式には日清講和条約といいます。
突然ですが、鉄道唱歌というのをご存知でしょうか?
『汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり~♪』で始まるアレですよ。
『世界にその名いと高き 馬関条約結びたる 春帆楼の跡といて 昔しのぶも面白や♪』というのが下関編のひとつにあって、『春帆楼』は会場になった料亭です。
明治27年(1894)7月に朝鮮半島をめぐって清国との間に日清戦争が勃発。
日本は有利に戦争を進め、明治28年3月20日に講和会議が始まりました。
下関のココが選ばれたのは理由があって、目の前の関門海峡を大陸に向けて進む軍艦や輸送船をあえて見せつけることによって、日本の軍事力を誇示して講和を有利に進めるためと、清国の全権大使と本国間で発信される電報文の内容を掌握するためですね。
日本側は総理大臣伊藤博文と外務大臣陸奥宗光、清国全権は李 鴻章(り こうしょう)でした。
伊藤さんといえば、豊臣秀吉の時代より禁止されていたフグ食を解禁した人で、営業許可第一号はこの春帆楼なのです。
フグで有名な料亭旅館とはいえ、さすがにフグは提供されなかったんだろうと思います。なぜなら、万一、毒にでもあったって李さんが・・・・なんてことになったら会議もダメになるし、世界中から非難を浴びてしまいますからね。
号外、号外~『日本、フグを使い、清国全権大使李鴻章を毒殺す』
ところが、ところがですよ、その李さんが日本人に銃撃されるという大事件が起きてしまいます。伊藤さんも陸奥さんもビックリ大慌てですね。
フグの毒にあたる事のなかった李さんですが、小山豊太郎という犯人が撃った拳銃弾が顔にあたってしまい大怪我をしてしまいます。会議開始から4日後、明治28年3月24日のことです。
現在の国道9号線よりひとつ山手側に入った通りで、今はイタリアンレストランがあるその前辺りで撃たれたそうです。
当時、清国使節団の宿舎は中之町にある引接寺(いんじょうじ)で、春帆楼への行き帰りの際には道の両端には大勢の野次馬でごった返していたそうです。
『ねえ、見た見た?あれが李鴻章だって』なんて言っていたんでしょうね。
その通りから山側に目をやると、そこには『李鴻章道』の看板があります。事件後、野次馬を避けるために春帆楼への往復はその小路を利用したので名付けられたのでしょうが、どうせなら下の事件現場の通りの名称にして、プレートなどを地面に埋め込んでいただきたかったのですが・・・・。
その通りのつきあたりが、坂本龍馬さんと妻のお龍さんが暮らしていた『自然堂』の跡です。
李鴻章、伊藤博文、陸奥宗光、坂本龍馬、お龍、下関の小さな片隅からこんなに
名前が出てくる。良い所なんですよ、下関って。
フグのことを『鉄砲』とも言うんだってね。当たると死んじゃうかららしいよ。
李鴻章銃撃事件と春帆楼とフグに鉄砲。よく繋ぎ合わせて書いてるよねえ、お上手。
写真のモニュメントに『危険』の看板もフグだけに秀逸。これも、お上手。
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