日日是好日 『虹を見る男』
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
ネットニュースを見ていたら、地震発生前には電離層異常発生が起きていて、これを研究すると『地震予知』が可能になる、らしい。
電離層と言われてもさっぱり分からないが、地震の後には大抵こんな話があって『あの地震の時も予兆が確認されていた』みたいな話が出てくる。
だったら『教えてくれてもいいじゃないか』と思うのだが、ヘタに教えると余計な混乱を招く恐れがあることやハズレた時のクレームなどを考えると、まず間違いないくらいの予知が必要で、また、発表からどのくらいの時間で発生するのかも問題となってくる。
だから『今後、30年以内に70パーセント以上の確率で~』と言われてもピンとこないのは当然である。
昭和5年(1930)11月26日午前4時に北伊豆地震が発生した。
その前日、石野又吉(いしの またきち)京都帝国大学理学部長宛てに一通の『電報』が届いていた。
『アス アサ ヨジ イヅニテ ジシンアリ』
差出人の名前は『椋平 広吉(むくひら こうきち)』といった。
彼は、明治24年(1891)に起きた濃尾地震の被害を見て人々の役に立ちたいと思い、京都府の『天橋立(あまのはしだて)』付近の地元漁師の間で、海上に短冊(たんざく)状の縦長の虹が出ると地震が起こるという伝承をもとに独学で地震予知の研究を開始したという。
この予知により、『椋平虹(むくひらにじ)』という独自の研究法は全世界に知れ渡り、エジソンやアインシュタインからも激励の手紙が届き、一時は日本地震学会の会員にもなったが、科学的な根拠が証明できないとして学会からは認められなかった。
また、彼の予知した地震を知らせる方法は『ハガキ』であった。
すなわち、地震を予知した前日に『明日、どこそこで地震が起きますよ』と書いて研究機関に郵送するのである。
だから、郵送先まで距離があるからハガキの到着は地震後になるが、消印の日付から予知できていたでしょ、ということである。
この方法でいくつかの地震予知を証明してきたのであるが、昭和51年(1976)毎日新聞で『椋平虹』の嘘が暴かれる。
そのトリックは、まず鉛筆書きで椋平さんが自宅住所宛てに裏には何も書かないハガキを毎日書いて投函する。
そのハガキが自宅に着くと、鉛筆書きの表の宛名を消す。
すると、消印の押された白紙のハガキが溜まっていく。
地震発生のニュースが出ると、一番近い日付のハガキにその状況を書いて研究機関に椋平さん自身が持って行って、そこの郵便受けにコッソリ入れていたというものだ。
通信手段が未発達の『古き良き時代』のトリックだと言えそうだが、最初の予知は『電報』であり『消印』のトリックは使えない。
疑問の残る所だが、椋平さんは記事が出た後もずっと観測を続け、虹を見続けた。
あえて弁護するなら、最初の予知は思うような観測ができ見事に的中させ喝采を浴びたが、以降は満足できる結果得られず、予知を的中させなければならないという使命感から愚挙に出たのかもしれない。
きっと、『自信』がなかったのだろう。
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