つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㉖
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言㉖ です★
薩長同盟と坂本龍馬①
薩摩藩と長州藩には、ふたつの共通点があります。
ひとつは関が原の戦いの際、共に西軍に属していたので敗戦後はなんだかんだで幕府に恨みがあること。
ふたつめは幕末、共に外国と戦争したことによって『攘夷』なんて不可能なんだと実感したことです。
長州がお金持ちだったことは前回かきましたが、実は薩摩もお金持ちで、砂糖による収益や、くすの木から作る樟脳(しょうのう、防虫剤や無煙火薬の材料となる)を売ったり、多額の借金を踏み倒したりして財政は豊かになったのです。
幕府にしてみれば、そんな両藩が潤沢な資金で軍艦や大砲などの銃器を揃えているのは気になるし、ましてや外国との関係について、弱腰だの能無しだのと言われるのは我慢できないし、天皇に接近して倒幕を画策しているらしいのは絶対に見逃すことはできないしってことで、まず朝敵になった長州を片付けてしまおうと目論んでいました。
薩摩にしてみれば、長州に目が向いているうちはいいけれど、長州の次は必ず薩摩を倒しに来るだろうと考えていました。
ですから、薩摩にしてみれば『敵の敵は味方』ってことで島津久光公は岩国藩を通じて長州藩にアプローチを始めます。ですから、坂本龍馬さんのオリジナルのアイデアではありませんね。
薩摩にしてみれば、同盟を結ぶと言っても軍事同盟を結んで幕府を倒そうなんてこの時点では考えていませんし、長州征伐に加わって無駄に戦費を使いたくないし、バックアップくらいはしてあげるけど、こっちに来る前にせいぜい幕府を痛めつけておいてね、くらいの感覚だったと思います。
慶応元年(1865)閏5月6日、下関の城の腰(じょうのこし)という所にある『錦屋』という旅館で薩長同盟に関する会議が行なわれました。現在の下関市役所がある辺りで、当時は関門海峡に面していました。
出席者は、長州が桂小五郎(木戸孝允)、時田少輔、土佐から土方久元、そして坂本龍馬でしたが、中岡慎太郎が連れてきたのは、薩摩の村田新八だけで肝心の西郷隆盛は来ませんでした。時期尚早と西郷さんはスッポカしたわけですね。木戸さんも激怒しすっかりスネてしまいましたが、外国から薩摩名義で武器が買えるようにするよう話がまとまると少し機嫌も直りました。
ある意味、坂本さんの狙いはそこなわけです。長崎で購入した武器を運送するのは『亀山社中』が請け負うわけです。ビジネスなわけですね。
ま、こんなことを書くと筋金入りの龍馬ファンからは怒られますが、この先も含め坂本さんが関わる事柄を透かしてみると、彼の利益へと繋がるんですね。
正しく歴史を俯瞰すると、彼の歴史上の功績は『薩長同盟』と『大政奉還』への『斡旋』です。前者は倒幕、後者は幕府救済ですよね。
これって大きな矛盾で、素直に向き合うと理解できないのですが、ビジネスって方向から眺めると、なんとなく理解できるんですね。
私が、彼を英雄視しないのはそこなんですけれど・・・・。
しかしまあ、下関市も惜しいことをしましたよねえ。もし、西郷さんがちゃんと来て同盟が成立していれば、『薩長同盟締結の地』っていう石碑が下関市役所の敷地内に建って、観光産業で潤ったりして・・・・。
あっ、ダメダメ。ビジネスで物事を判断するのは嫌いな立場でしたね。
ほんと、下関って歴史が埋もれています。
ちなみに、坂本龍馬さんがこの会談のため下関行きの船に乗った所は、現在の北九州市八幡西区船町で、当時、この辺りは洞海湾に面しており、黒崎湊(くろさきみなと)と呼ばれていた船着場からでありました。
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