つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㉛

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

歴史好きの独り言㉛ です★

坂本龍馬の妻、お龍さんのその後

坂本龍馬には妻がいて、名前を龍(りょう)と言い、旧姓は楢崎(ならさき)です。

天保12(1841)年生まれですから、坂本さんの5歳年下ですね。

父親は中川宮の侍医だったそうですが、早くに亡くなったので一家は困窮していたそうで、そんな時、京都で坂本さんと出会ったそうです。

この夫婦のエピソードは、寺田屋事件と事件後の新婚旅行が有名ですね。

新婚旅行については何やら日本初らしいのですが、この話が紹介されたのは新聞の連載小説で、西洋のハイカラな習慣を合わせて紹介したかったのであえて『新婚旅行』と書かれ、いつの間にやら『日本初』になりました。

その新婚旅行とやらの行き先は薩摩でした。

霧島山に登って、山頂にある『天の逆鉾』を2人で引き抜いたそうですが、寺田屋で伏見奉行所の捕り方を射殺したり、文化財にイタズラしたりとヤリたい放題ですよね。ずいぶんとワルな2人です。

日本最初の新婚旅行に行った2人というより、日本最初のピストルによる殺人犯と文化財保護法違反とで紹介してほしかったのは私だけでしょうか?

薩摩では西郷隆盛さん宅でお世話になっています。

ある時、坂本さんが西郷さんの奥様のイトさんに着替えのふんどしを所望したそうで、イトさんは西郷さんの使い古しを出したそうです。後刻、その話を聞いた西郷さんは激しく怒って、『坂本さんはこれからの日本を背負って立つお方だぞ。使い古しとは何事だ、新品をお出ししろ!』と言ったとか言わなかったとか。

維新の英傑二人のエピソードにしては実に庶民的な話ですね。

まあ、そんなこんなでその後もいろいろとありましたが、坂本さんは暗殺されてしまい、お龍さんは独りになってしまいました。

後に、土佐の坂本さんの実家へ行ったそうですが、家族との折り合いが悪くすぐに飛び出してしまったようです。

お龍さん曰く、姉の乙女さんは優しかったそうですが、兄の権平さん夫婦が冷たかったようで、何やら龍馬さんに下賜される報奨金をお龍さんと分配したくなかったからだそうです。

真実だとしたら、セコくてみみっちい話ですねえ。

土佐を出て、東京で勝海舟さんや西郷さんを訪ねて就職先などをお願いしたようですが叶わず、明治8年に西村松兵衛という人と再婚し、西村ツルに変名しました。

明治16年に坂本龍馬の伝記小説『干血千里駒』(かんけつせんりのこま)が土佐の新聞に連載され、日本で最初の『龍馬ブーム』が起きました。

この頃、政界における土佐の勢力が衰退していたので、意図的に連載されたもので、『今でこそ長州、薩摩だと威張っているけど、土佐にも坂本龍馬がいたんだぞ!』ってことです。

ブームの間はお龍さんにも脚光が当たりましたが、ブームはいつまでも続きません。

夫婦仲も上手く行かず、酔っ払うと、『私は、坂本龍馬の妻だったんだっ』が口癖だったそうです。

日露戦争が間近に迫った頃、美子皇后が夢を見ました。その夢の中で、『私は坂本龍馬と言い、神戸海軍伝習所で海軍を勉強しました。この度、ロシアと戦争になっても日本海軍は決して負ける事はありません。私もご奉公いたします』とか何とかいったのだそうです。

それで、『坂本龍馬って誰?』ということになり、第2次龍馬ブームが起きるのですが、これも土佐をアピールするための策略です。発信源は元海援隊の人物です。明治39年(1906)お龍さんは亡くなりました。享年66。

お墓は横須賀にあります。場所柄、葬儀の際には海軍軍人が弔問に訪れたそうです。

墓石には『贈正四位阪本龍馬妻龍子之墓』と刻まれています。

日露戦争勝利後の国威発揚とはいえ、墓石に坂本龍馬の妻と刻まなければならなかった西村松兵衛の気持ちを察すると、何だか哀れを感じてしまいます。

さあ、お仕事始めましょうか。


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